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『砂の女』ケムリ研究室

2021年8月26日(木)13時開演
@シアタートラム
¥8,800

ケラリーノ・サンドロヴィッチ&緒川たまき夫妻のユニット「ケムリ研究所」。その第二回公演を観てきた。
第一回公演の『ベイジルタウンの女神』は賑やかでキュートなエンタテインメントだったけど、まるっきり真逆な雰囲気の不穏な不条理劇。
原作は安部公房の代表作として有名な小説で、映画化もされているがアタシはどちらも未読・未見。かーなーり昔に読んだ作品がめっさシュールで意味不明で「安部公房=苦手」という認識で生きてきた。
一抹の不安はあるものの、ケラさんなら大丈夫だろうとおもってチケットを取った。ナイロンの作品でも苦手なものはあるけど、とりあえず観て良かったという部分は共通していたので。

鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。飛砂におそわれ、埋もれていく、ある貧しい海辺の村にとらえられた一人の男が、村の女と、砂掻きの仕事から、いかにして脱出をなしえたか――色も、匂いもない、砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。(安部公房)

原作も読まず、あらすじも何ひとつ仕入れないまま観劇。
僻村に昆虫採集にやってきた男が一夜の宿を求め、砂の穴底の一軒家に案内される。縄梯子で降りていくところで、ああ、この男は囚われるのだなと判る。なぜそこで怪しいとおもわないのか、迂闊すぎるぞ男。

舞台の真ん中に古びた一軒の家、取り囲む黒い布は砂の壁。プロジェクションマッピングや効果音で、暮らしの中に入り込んでくる砂を表現する。おもしろい。
盆を回したり舞台上で立ち働く黒衣がいるんだけど、この座組では「砂子」と呼ばれているのもおもしろい。グレーのフード付きマントで甲斐甲斐しく?作業をしている。砂子さんは4人、それぞれ村人や東京でのモブなど複数の役も持っていて、かなりハードワークそう。

BGMというか、効果音というか、さまざまな「音」の表現は上野洋子氏。
実はこの情報、観劇後に知った間抜けなアタシ。しかし古のZABADAKファンとしては心躍る。様々な楽器や、楽器として使われるものたちの音色の素晴らしさよ。もちろん一番素晴らしいのはご本人の声。上演中にすごい、すごいとおもっていたが、パンフを見て「なんと上野さん!」と驚き納得。
かなりマニアックな感想言っていい?
「ヒュ───────」って感じの甲高い、笛のような声が聞こえた時、山岸涼子の怖い漫画がバッと頭に浮かんだ。あの細いペンで書かれたカタカナの文字が、アタシにははっきりと見えた・・・。(この感覚、判る人いるのか?)

ストーリーは原作通りだそうだけど、ところどころアレンジされたシーンが挿入されているのだとか。ラジオを聞きながら踊るところとか。しかしトオルさんのホールドの形、それ女性の方なんだけど・・・。ただ「男」(と、たぶんトオルさんも)がソシアルを知らないだけだろうけど、つい邪な目で見てしまう汚れたアタシ。

「男」はかなり嫌な奴っぽいけど、演じたトオルさんの為人のせいか、演出のせいか、舞台版ではいい人ではないもののそんなに嫌な奴とまでは思えず、ちょっぴり愛嬌も感じられる。
「女」はもんぺに姉さんかぶりという出立ちなのに、匂い立つようなエロス。何を考えているのか判らないようなミステリアスさとコケティッシュさ。砂の底だけに蟻地獄っぽい、男を絡め取るファムファタル。すてきだ〜。たまきさん好き・・・
未見の映画ではふたりとも不機嫌そうとか、男は終始イライラしているとかいう話を聞きかじる(読みかじる?)と、舞台版との違いが気になって興味が湧いてくるなあ。
公演パンフレットで「原作小説と映画、舞台はその中間くらい」とあったので、小説と映画のどちらも読んで(観て)みたくなる。

交番シーンのコントや男の職場の人々とか、ちょっぴり笑えるシーンもあるけど、それが逆に気味が悪くもあり。男と村人たちとの会話がまるで響かない感じはストレートにゾッとする。
少しでいいから外に出たいという希望を出した男に、交換条件としてふたりの営みを見せろと村人が言い出すシーン。男が女にどうする?って訊いてるのがあり得ない!とココロの中で叫んだけど、もしかして女は何てことなくOKするのかも・・・とゾワゾワしたが、やはり女も怒って取り合わなかったのでホッとした。その辺のモラルというか、感覚は女もコチラと同じらしい。そりゃまあ外に出たいのは男ひとりの願望だとしてもね。

穴の底で暮らしているうちに情を通じ、ある意味極限状態と言える日々にも馴染んでいく。何度も脱出を試みて失敗する男だが、最後に女が子宮外妊娠で倒れ運ばれて行った後に、縄梯子がそのままになっているのに気づいても出ていかず、穴の底に留まる。そして7年が経ち、失踪宣言が成立して幕。
あの後のふたりは、どうやって暮らしていったんだろうなあ。変わらず砂掻きをしてセックスをするだけの日々なのか、それとも舞台版ではすっぱり省略された何やらいう装置を完成させて、どうにか有効に使えたのだろうか。

色々な人の感想を見ると、原作小説を好きな人がかなり多いようだ。この演目は、特にたまきさんが安部公房を好きでやりたかったらしい。
うーん、そんなにおもしろいのだろうか。気になる。しかし絶対好みじゃなさそうな雰囲気がするんだよな・・・としても、この機会を逃すと一生ふれないだろうし、やはりここは読んでおくべきか?!



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