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煩悩は大きいほどいい「自分だけが幸せに」ではなく「みんなが幸せに」という欲の方が強いから、願いも成就しやすいらしい

私たち人間には煩悩がありますが、煩悩というと人間の欲望であり、持ちすぎることはよくないことだとされています。

しかしじつは煩悩を持つこと自体はそれほど悪いことではなく、それを上手くコントロールできればとても良い方向に使うことが出来るらしいです。

それは小さい煩悩ではなく大きな煩悩を持つことで、ゴールを達成したり、願いを叶えたりしやすくなるといいます。

それがどういうことかと言いますと、小さい煩悩とは「自分だけが~したい」という欲望で、例えば「自分だけが得したい」「自分だけが幸せになりたい」「自分だけがお金持ちになりたい」という欲を持つことです。

このような煩悩は私たち人間みんなを不幸にするもので、略奪や戦争や貧困や差別などを引き起こし、世界中を混乱に陥れ、平和な世の中の実現ができなくなります。

反対に大きな煩悩とは自分だけではなく、「みんなが幸せになるようにしたい」「みんなが得になるようにしたい」「みんながお金持ちになれるといい」という自分以外の他人も巻き込んだ壮大な欲望です。

このような大きな煩悩を私たちみんなが持つことができれば、世の中から戦争や貧困や差別などがなくなり、まちがいなく世界は平和になります。

そして「みんなが~になれるといい」という大きな煩悩を持てる人ほど、世の中で成功者になれる確率が高くなるそうです。

なぜなら他人を含めた大きな煩悩の方が、自分だけの幸せを願う小さな煩悩よりも抽象度が高くスケールが大きいので強いからだそうです。

だから自分だけお金持ちになりたい人よりも、世の中全体を豊かにしたいという願望を持つ人の方が圧倒的に成功者が多く、お金持ちが多いのはそのためです。

だから自分も小さな煩悩ではなく、大きな煩悩を持てるような人間になりたいと思っているのですが、現実はけっこうむずかしいものですよね。

私などいまだにどこかでヒーロー願望とかメサイアコンプレックスみたいな、中年になってもいまだに中二病的な夢のようなものを持っています。

これって自分自身が賞賛されることしか考えていない、承認欲求のような小さな煩悩であり、決して人類や世界を本気で救おうとか、幸せにしたいとか、そのようなものとはちがうのだと思います。

昨日も閉店した店のシャッターの前のダンボールの中に、何かの食べ終わった竹串みたいな棒を平気で投げ捨てる、マナーの悪いスクールカースト上位風の生意気な学生の女子たちを見ていたら、なんだか憎しみに似たような怒りの気持ちが湧いてきてしまいました。

このような集団の女子たちを見ると、10代の頃に自分を小バカにするような態度をしていた女子たちの記憶とオーバーラップするからか、条件反射的にイライラしてしまいます。

だめですよね、こんなに器の小さい人間では。

自分の心の平和を維持できなくて、世界を平和にすることなんて出来やしません。

迷惑な行動をする人たちがいても、文句を言いながらも笑いながら話すおなじ職場のスタッフたちは、自分なんかよりぜんぜん大らかで器が大きいと思ってしまいます。

私もそのような人間になりたい。

自分のことばかりではなく、みんなが良くなりますように、と考える大きな煩悩を持てるようになろうと思います。



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