ミユキーヌ→おひとりさま・明るめの陰キャ内向的中年女子・都市伝説好き・サブカル好き・元英会話講師

おひとりさま中年女子・明るくても陰キャ・不器用だったり内向的だったり人見知りだったりコミュ障だったりマイノリティだったりしてなんだか生きづらい人たちが平和に暮らしていける社会が理想 #陰キャ #都市伝説 #英語 #英会話 #おひとりさま #SnowMan #イエモン

ミユキーヌ→おひとりさま・明るめの陰キャ内向的中年女子・都市伝説好き・サブカル好き・元英会話講師

おひとりさま中年女子・明るくても陰キャ・不器用だったり内向的だったり人見知りだったりコミュ障だったりマイノリティだったりしてなんだか生きづらい人たちが平和に暮らしていける社会が理想 #陰キャ #都市伝説 #英語 #英会話 #おひとりさま #SnowMan #イエモン

最近の記事

陽キャのイケてるオシャレなお嬢さん、お姉さんたちは、陰キャの自分とは別の生き物なんだなと昔から思っている

私は子供の頃から陰キャ女子で、中年になっても陰キャ女子のままです。 だから真反対の存在の陽キャでキラキラした女子力の高い人たちは異星人です。 自分と同じ生き物だとは基本的に思っていません。 容姿も良く、コミュニケーションスキルも高く、流行にも敏感でオシャレで、身だしなみも女らしく整えられていて、何だかしらんけど良い匂いがして、友だちも同じようにキラキラしていて、10代の頃からすでに色気があって、イケメンの彼氏がいて、いつも余裕がある態度で、堂々としている。 こんな人た

    • 心の中で悪態をついたり、口汚い言葉で悪口を言っても、ワクワクと楽しみ、そんな自分を褒めてあげる

      私のカウンセラーの先生に何回か言われたことがあるのは「心の中だけは完全に自由にしてあげる」ということです。 私たちはふつうに生きていれば、やっぱりつねに人に対して、状況に対して何かしらの不満や愚痴を言いたくなることがあります。 そんな時に頭の中でその感情を言葉にしてあげないといけません。 「いやこんなことを感じてはいけない」と感情を持つこと自体に罪悪感を持ってはいけないということです。 感情を持つことを禁止してしまうと、それが抑圧されて意識の奥へと押しやられてしまいま

      • 中二病のおばちゃんの私は、都市伝説、陰謀論、オカルト、スピリチュアルが大好きなのは優位に立ちたい心理があるらしい

        私は普段から都市伝説や陰謀論や心理学やオカルトやスピリチュアル系のことが大好きなのですが、そんな自分の心理ってどういうものなのかと自分のカウンセラーの先生に聞いてみました。 そうしたら返ってきた答えが「精神的に他人に優位に立ちたいという気持ちから」というものでした。 私だけではないと思いますが、日本人というのはあまり堂々と自分の優れている能力などを自慢したりすることを由としない文化があって、そのように教育されていく傾向があります。 だから自分の優れている所を本能では自慢

        • 自分自身に「私ってすごい!」とか「よく頑張ったね」とか言ったことがない、言ってる人を見てずっとすごいなと思っていた

          よく「私よく頑張ったな」とか「エラいぞ私」とか「私って天才」とか自分を褒めるというか、労うというか、そういう言葉を自然に出せる人っているけれど、そういう人を見るとすごいなと思ってしまいます。 私自身はそんな言葉を自分自身にかけたことなんてありません。 「頑張った自分へのご褒美として〇〇」という言葉を使う人もよくいますが、日常的にそんなことを言える人はすごいなとやはり思います。 自分にはそもそも、自分に対して労うとか褒める言葉をかけるという発想自体がありません。 でも自

          怒ったり、悲しんだり、悔しがったり、怖がったりしているインナーチャイルドの気持ちを言語化することはワクワクすることだ

          私たちは通常、イライラしたり怒りを覚えたり、悔しがったり、悲しんだり、怖がったりなど、不快でネガティブな感情を持つのは避けたいと思うし、そのように感じる出来事は起こってほしくないと思います。 そんなの当たり前なのですが、聖人君子でない限り、どんなに不快な事が起こっても、心が平穏でいられるなんて出来るはずがありません。 しかし不快でネガティブな感情が出てきた時に、すぐに言葉にして言語化することで、自分の心の中の癒やされていない子供(インナーチャイルド)の訴えたい気持ちを解放

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          鎌倉はもう外国人だらけ、無国籍な町になりつつある、日本が外国勢にジワジワと支配されつつある空気を日々感じる

          今鎌倉で月の三分の一くらいで販売の仕事をしています。 コロナ前もそうだったのですが、それ以上にコロナ後の方が鎌倉の町は外国人観光客でごった返しています。 はっきり言って、晴れの日なんか特にですが、凄まじい数の外国人があのせっまい小町通りを練り歩いているのです。 コロナ前は中国や香港や台湾などの中華系のお客さんが大半を占めていたのですが、コロナ後のここ2年くらいは、他の東南アジアの国の人や、ヨーロッパや南米の人や、ロシア近辺の国々の人たちなど多岐に渡る国々のお客さんが沢山

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          どんなにイヤなことがあっても、それは自分の信念、観念が現実化した世界なのだと理解できれば、そこから解放される

          自分が毎日生きる現実というのは、じつは自分の心の奥底の無意識レベルの観念や信念が映されて物質化されている世界である、という考え方があることをここでよく書いています。 他人にも自分にもムカつくし、やるせないし、いろんなことが上手くいかないし、自分の人生はどうしようもないと感じてしまうような現実なのは、自分の心の奥底のレベルで世界とはそういうものなのだと強固に信じてしまっているからです。 「自分にはこういうイヤな思いをする出来事がよく起きる」という信念を持っているからなのです

          どんなにイヤなことがあっても、それは自分の信念、観念が現実化した世界なのだと理解できれば、そこから解放される

          私たちはいつでも次の瞬間、ちがう自分に変われる、ちがう未来を選び取ることができるらしい

          私たちは一瞬一瞬を選択しながら生きています。 次の瞬間に左右のどっちを向こうか、何を考えようか、何を見ようか、など生きるということは選択の連続だと言います。 それってどんなことかというと、私たちの目の前にはつねにいくつもの無数のバージョンの別次元の自分の人生の扉がそれぞれ漂っていて、そこで選んだ扉の人生を開けて入っていくイメージです。 今自分の機嫌が悪いか、機嫌が良いかで選ぶ未来の扉もちがいます。 機嫌が悪いバージョンの自分の次元の世界に入り込むと、周りにも同じような

          私たちはいつでも次の瞬間、ちがう自分に変われる、ちがう未来を選び取ることができるらしい

          アイドルを推すのと、都市伝説・陰謀論好きを両立させるのって、じつはけっこう葛藤が多い

          昨今、空前の推し活ブームということで、アイドル好きな人は世の中に多いと思います。 アイドルとは英語の” idol ”=偶像という言葉から来ており、世の人々の期待に答えて、芸事などで魅力を振りまきながら、人々の理想のキャラクラーを演じ、人々を熱狂させ、崇拝させる人たちのことです。 私の現在のお気に入りのアイドルはSnowManです、あの9人組の元ジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)のグループです。 彼らのダンスや歌や楽曲や様々なパフォーマンスが好きです

          アイドルを推すのと、都市伝説・陰謀論好きを両立させるのって、じつはけっこう葛藤が多い

          どうせ自分なんてと絶望しながらワクワクを探して生きるって、一体どういうことなのだろう?

          自分自身や自分の人生や世の中に絶望しながら、その中でもワクワクをいつも探して生きるとはどういうことなのでしょうか? 「絶望」と「ワクワク」って正反対の意味ですよね。この2つって決して相容れることはないですよね。 「絶望」と「ワクワク」を2つ同時に感じることって出来なさそうですよね? 絶望するって「ああ、もうダメだ」「どうせ自分なんてどうにもならないんだ」って諦めの境地になることですよね。 私というのはどうも地に足を付けて生きるのが昔からいまいち苦手な人間でして。 現

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          自分はずっと陰キャ女子のままで生涯を終える、絶望しているけれど気持ちだけは明るくしておく

          私は子供の頃からずっとHSPで敏感気質で生きにくく、MBTI性格診断の16タイプの中でもINFJ〈提唱者〉と出ます。  ネットでたまたま見つけた記事に、INFJの人は覇気がなく 元気がなく、体力もなく やる気もない、積極性もない、押しにも弱い、という弱いタイプの人が多い、だから人に舐められやすく、損な役回りになりやすい、みたいなことが書いてあるのを見つけ、「まったくその通り!」と気づいたと同時に、分ってはいたけれど、なんだか改めてショックを受けてしまいました。  ああ、や

          自分はずっと陰キャ女子のままで生涯を終える、絶望しているけれど気持ちだけは明るくしておく

          ネガティブなことを思ってしまう心のクセは持病みたいなもの、対処法をいつも持っておけば安心して生きられる

          私はどちらかというと神経過敏なHSP(敏感気質)な人間です。 ですからそうでない人よりも周りの環境や人間とかの様子に対して、細かいところにも気にしやすい傾向があります。  どんなに親しい間柄の人であっても、複数の人といる時の席の並びとか、例えばレストランの席とか、電車とかタクシーの席の並びとか、結構気にしたりすることがあります。 その時に自分が変な場所とか居心地の悪い場所になったりすると、絶対そうじゃないのに、なんとなく自分がその場所に追いやられたのではないか?自分がお

          ネガティブなことを思ってしまう心のクセは持病みたいなもの、対処法をいつも持っておけば安心して生きられる

          おひとりさまではしゃいでいる中年女子たち、応援する、見守っている、周りの目なんて気にしなくていいのです

          おひとりさまでも、ぼっちでも、中年女子でも、1人でウキウキしながら町を歩いたっていいのです。 なんなら、スキップしたっていいのですよ。ただ「ゲッ!何あの人、なんか怖、、、」と思われるかもしれないですが、そんなの気にしないというのならば自由にやっていいでしょう。 ライブコンサートに行って1人でノリノリで、はしゃいで、飛び跳ねて、踊るなんて基本中の基本です。 今年は行かなかったですが、去年行ったバンドのアーバンギャルドが毎年開催する「鬱フェス」でも、私は1人で自由にはしゃい

          おひとりさまではしゃいでいる中年女子たち、応援する、見守っている、周りの目なんて気にしなくていいのです

          何でも最もエネルギーを使うのは「静」から「動」に最初に自分を動かすところ、そこだけ乗り越えられればいい

          何をするにも腰が重くて億劫になる、動くのがめんどくさい、朝会社に行きたくない、職場で朝スタッフと顔を1番に合わせるのが憂鬱、などと感じることがあります。 別に会社や職場のスタッフが嫌いなわけではない、でもどうしてもそう思ってしまうのは、私たちは最初に自分自身を動かす部分で最大のエネルギーを消費するからです。 エアコンやパソコンやあらゆる機械もそうです、初動の時が最も電力を必要とします。 私たちはずっとじっとしている状態から、立ち上がって動くのには多くのパワーがいります。

          何でも最もエネルギーを使うのは「静」から「動」に最初に自分を動かすところ、そこだけ乗り越えられればいい

          相手がイヤなやつなのは自分の責任、世の中が不安定で歪なのも自分の責任、推しが人気ないのも自分の責任、すべてのことが自分の責任だと思うと楽な気分になれる

          先日どこかのNoteの記事で、”すべて自己責任論で考えると心が楽になる”という内容の記事を見つけました。 それを読んでみて、何となく「ああ、そうかもしれない」と納得しました。 そして「世の中で自分にとって不都合なことが起こる原因は自分にあるのだ、自分のせいなのだと考えることは自分の心の安定をはかる上で効果がある」という話は、前に読んだ苫米地英人博士の著書のどれかにも書いてあったことを思い出しました。 またネットで調べたら他にもそのような内容のブログを書いている人が何人か

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          「モノ」に恋しようと、2次元キャラと結婚しようと、動物を好きになろうと、心がワクワクして幸せならばすべてが尊い

          何ヶ月か前にネットで「大型旅客機ボーイング737と9年間交際した女性が破局し、今は中世の甲冑と交際をしている」という非常に興味をそそるタイトルの記事を見つけ、当然のことながらそれを読んでしまいました。 以前にもエッフェル塔と結婚した女性もいましたし、ベルリンの壁と結婚した女性もいたということも知っていましたけれど、やっぱり物に恋をする人って一定数いるのだな、と改めて関心しました。 私は無機物を恋愛対象として見たことは人生の中で一度もないのですが、時々絵画や彫刻などの美術品

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