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クリスマスを誰かと一緒に過ごさなければいけない、という価値観から私たちは解放された

この国では、昭和の後半あたりから平成の後期あたりまでは、ひとりぼっちでクリスマスを過ごす人は寂しくてイケてない人、負け組の人、という価値観がありました。

今思えば差別や偏見以外の何ものでもない考え方です。

そんな世の中で、どちらかというと恋愛することや彼氏を作ることに興味がなかった私は、若者だった平成時代はずっと苦しい思いをしていました。

その時代の社会的通念、一般世間の考え方というのは、すべての人は結婚するのはあたりまえ、若いうちは恋人をつくるのはあたりまえ、クリスマスも恋人と過ごす、そうでなければ友人たちと過ごす。

ひとりぼっちはおかしい、ひとりぼっちは寂しくて侘しい可哀相な人、というものです。 

12月24日のクリスマス・イブには、恋人とレストランで豪華なクリスマスディナーを食べて、クリスマスケーキを食べて、イルミネーションを見に行き、クリスマスギフトを交換し、シティホテルに宿泊する、または友人たちと派手に飲んだり食べたりしながら盛大にクリスマスパーティーをする、それがイケてる人たちのステイタス。

このような価値観を国民に植え付け、通常よりもさらに消費活動を促すために、大手メディアはCMや映画やドラマなどを駆使して日本人を洗脳しました。

メディアの策略にまんまと乗せられた国民たちは、クリスマスを恋愛市場において最も大切なイベントだと考えるようになりました。

本来クリスマスというのは宗教的なお祭りで、「イエス・キリストの誕生をお祝いする日、世界中の人の幸せをお祈りする日」だと言われています。
ですからキリスト教徒にとって一年の中で最も大切な日なのです。

キリスト教圏の国々は12月24日のクリスマスイブも、25日のクリスマスの日も祝日ですし、教会で宗教的な儀式もするし、自宅で家族みんなで神様に祈りを捧げるために、食事をしたり、賛美歌を歌ったり、プレゼント交換をしたりしてお祝いします。

日本人がクリスマスにチキンを食べ、クリスマスケーキを食べ、シャンパンを飲むという行為は、クリスマスの宗教的な意味合いとはまったく関係がありません。

子供たちがサンタクロースが夜中に来てプレゼントを枕元に置いていってくれる、という慣習だけはギリで良しとしましょう。

子供たちには少しでも夢があった方がいいですから。

でも根本的に日本人にとってクリスマスは商業的な意味合いしかなく、ただ経済活動を活発化させるための商機でしかありません。

しかし、インターネットが発達し、SNSが発達してきてから、私たちの生き方も変ってきました。

現実社会の中だけではなく、情報空間の中でも楽しめる術をたくさん見つけられるようになったのです。

1人でもネット配信者やインフルエンサーたちとオンラインで繋がることができる。

クリスマスの日にも配信をしてくれるし、1人で家にいても全然さびしくない。

自分の推しとファンの仲間たちとネット上で一緒に楽しく夜を過ごすことが出来る。

また様々な情報をネット上で簡単に得られるようになった私たちは、大手メディアで垂れ流されていた情報なんて虚像であり、ただのマーケティングでしかなかったと気づきます。

クリスマスの本当の意味も知って、日本人とは大して関係のないことなのだと知りました。

現実には、恋人や家族や友人たちとキラキラとしたクリスマスの日を過ごす人たちなんて実際はそんなに多くないし、ほとんどの人たちは仕事の残業をしていたり、いつもと変らない日を過ごす人たちが大多数であり、1人で地味に自宅で過ごす人も多いのだという真実を知ります。

昭和から平成中期の若者のように、クリスマスのちょっと前に、イブを一緒に過ごすためだけの即席の恋人を無理矢理作ったり、彼氏彼女のいない者同士で無理矢理のクリスマスパーティーを企画したりする人たちなんて、今の時代はもうそれほどいないと思います。

私たちはもうクリスマスに誰かと一緒に過ごさなければいけない、そうしないと恥ずかしい、虚しい、寂しい、という価値観からは完全に解放されたのです。

クリスマスをロマンチックに過ごしたい人は引き続きそうすればいいし、興味のない人は普段通りに過ごせばいいし、私たち1人1人はまったくの自由意志でその日を過ごせばいいのです。

そういう意味ではこの時代はとてもいい時代になったと、個人的には思っています。


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