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高校野球と友達と手作りのポーチ

私は野球を見るのが好きだ。なかでも高校野球は特に好きで、春と夏の甲子園期間中は朝からテレビ観戦している。

幼い頃から見ていたけれど、自分から好きになって積極的に見るようになったのは中学2年の夏だった。それはPL学園、桑田清原のKKコンビの大活躍を見たのがキッカケだった。

あの頃のPL学園は強すぎた。甲子園で勝つよりも大変な大阪でKKコンビがいる間は5回も甲子園に出る事ができたのだから。甲子園でも、圧倒的な強さを見せていた。

私は、彼らの野球を見るのが大好きだった。強すぎるPL学園には、ファンも大勢いたけれどアンチも多かったのではないだろうか。それでも私は強いPL学園の野球が好きだった。


私は好きになると、ハマってしまう性質を持っているため、野球雑誌を買い、読み込み、そして下敷きもアイドルではなく高校球児で作るほどだった。

そんな私以上に高校野球にハマっていた友達がいた。その子はせんちゃんといい、小学3年の時から同じクラスになる事が多かった。小学生の時よりも中学に上がってからより仲良くなった。

せんちゃんとは中2でまた同じクラスになった。彼女は頭が良くピアノがうまい学級委員タイプの子だ。でも、面白い事が好きな子で私と何となく気が合った。

中2の夏、PL学園を知った私達は存分に彼らの魅力を語り合った。せんちゃんは頭がいいだけに、ハマり方が私よりすごかったかもしれない。なんと雑誌で募集していた高校野球のサークルにも入っていた。

サークルに入ったせんちゃんは、活動の様子を話してくれた。サークルといっても、全国に会員がいるため実質的にはファンクラブのような物らしかった。会報誌があったり、写真の販売があったりなど。

そんな私も、せんちゃんを通じて何枚かの写真を購入してみた。桑田、清原、取手二高の選手達などなど。今でも、その写真はアルバムに貼ってある。その写真を見ると、熱狂していたあの頃を思い出す。


さて、中3の夏休みを迎えた私達。部活も引退し、受験勉強も本格的になってきた。そんな中でも、当然高校野球は見ていた。もちろん2人で熱狂していた。

3年生は夏休み中でもお盆を過ぎた頃には、夏期講習で学校に行かなくてはいけなかった。学校でおしゃべりをしていると、せんちゃんが私に言った。

「ねぇ、○○(私の名字)さぁ。手芸得意やったよねぇ?こういうの作ってくんないかな。」

「こういうの」とはこんなのだ。

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PL学園のユニフォームをかたどったポーチだった。

単純に考えると、正方形のポーチにアップリケして袖を付けたらいいのかなと思った。思ったのだが、一応私達は受験生だ。そんな事してる暇はあるのかなと思わなくはなかった。けれど、せんちゃんは大事な友達だ。私は急がないんだったらいいよと引き受ける事にした。

ちょうど、白い布も黒い布も家にあった。あとは、20cmのファスナーと黒いフェルトを買って来ればよかった。とりあえずファスナーとフェルトは買ってきた。でも、手芸をするには暑くてやる気も出ない。それに、宿題も溜まっていたし、塾に行ったりと中3の夏はなかなか忙しい。


やる気が出ずに、作業に取り掛かれないでいた。すると、せんちゃんから「まだー?」と催促が入る様になってきた。さすがに私も重い腰を上げて作り始めた。

布を裁断して、アップリケする。ファスナーを付けて、袖をくっつけて縫う。しかも手縫いで。

当時は手芸好きだったけど、腕前的にはまだまだだった。でも、せんちゃんのために一生懸命作った。なんとか、「こういうの」ができあがった。

せんちゃんに渡すと、とても喜んでくれた。自分が作った物で喜んでもらえると、こちらも嬉しい。がんばってよかったと思った。


せんちゃんとは、別々の高校に進学したけれど連絡を取り合ったり、たまに遊んだりした。高校野球の話もした。その後は、せんちゃんは東京の大学に進学したので、最後に会ったのは空港に行くバスに乗るせんちゃんを見送った時だ。

東京に行ったせんちゃんは、卒業後は地元に帰ってきた。でも、なかなか会えずにいた。そして、今現在せんちゃんは偶然にも私が住んでいる街にいる。車で10分ちょっとの所だ。それなのに、まだ会っていない。年賀状のやり取りをしたりはしているのに、メールも電話もほぼしていない。

いったいいつ会えるのだろう。もう少し、年を取ったら会ってみようか。その時は、あの時に買った写真を貼ったアルバムを抱えて。そして、またギャハギャハ笑いながら高校野球の話をしようと思う。


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