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ヒーリングに出会うまで          ∞魂のモチベーター∞多次元キネシオロジストMIYUKIのロングプロフィール①

元ダンサー
NYに10年在住後、2014年12月日本帰国

マインドの囚われを潜在意識から解放し、心からの笑顔溢れる人生へとガイドする
∞魂のモチベーター∞ 田島美由紀です。

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ダンサーの挫折


 高校卒業後にダンサーとしてミュージカル、TV、 CM などに出演。
プロダンサーとして人生が開けてきたダンサー真っ盛りの時に、何の因果か   現実と出演する舞台の役どころがリンクする体験をしました。

現実生活では、実父の闘病から死を見送る過程があり
その時出演を控えていたミュージカルの舞台リハーサルでは、親が目の前で死に、
天に見送るというハイライトシーンの稽古真っ只中という事が、同時に進行していました。私は、死にゆく主人公の娘役でした。

現実の感情を感じてしまうと精神が保てなくり、そのハイライトシーンのリハーサルの最中に泣き崩れて現場に迷惑をかけてしまった事がありました。それ以降、現場に迷惑をかける事を避ける為に、必死に感情を抑え込み、"演技" として親の死の悲しみを演じる稽古を重ね、そのまま本番が始まりました。
実父の死後1ヶ月程、本当の感情を抑えてなんとか精神を保ちながら、舞台上では ''親が目の前で死んで天に見送る'' というシーンを、東京を皮切りに地方を回って何度も何度も演じた事で、知らぬ間に精神のバランスを崩していました。舞台が終わって改めて自分自身の時間を持てた時、感情が感じられないようになっていた事に気づいたのです。

同時にダンスが苦痛でしかなくなり、あれだけダンスに燃えていた私の世界から、情熱という心の炎が完全に消えてしまいました。


その原因の一つは、’’父の命を救う事ができなかった’’と、思い込んでいたからでした。(後に自己ヒーリングをして深く理解した事です)


「舞台の本番までに治って見にきてね!車椅子でも大丈夫ないい席取ってあるから!」


リハーサルの前に、病院にお見舞いに通っては、私の舞台を見る事が、父の生きる励みになると思いたかった。ところが、舞台の開幕の直前で父が亡くなった事で、''私がダンスをしても何の役にも立たない'' ''ダンスをしたところで父の命を救うことはできなかった'' と思い込んでしまったのでした。


ダンス以外の人生なんて考えた事もなかったし、ダンスをしない生き方が全くわかりませんでした。

生前、散々父から言われてきた言葉が聞こえて来ます。


ダンスをやって何になるんだ!ダンスでどうやって生活するんだ!怪我でもしてダンスができなくなったらどうするんだ!



ダンサーまでの私は、常にやりたい事があって、いつも情熱に溢れていて、望みを叶える為に何をしたらいいのかもわかり、その為の努力もでき、夢が現実になることは当然だと思っていました。例え家族に反対されても、それを押し通す迷いの無い人生でした。
それが一転し、全く情熱も湧かず、ダンスができなくなってしまった自分に、何の価値も見出せず、この先をどう生きていいのか?全く分からなくなってしまいました。

この体験により、私は「情熱的にやりたい事をやり、行動的で、活き活きと充実した人生」も「やりたいことが分からない、どう生きていいのか分からない、無気力、無感動、絶望感に打ちひしがれた生きる価値の無い人生」という感覚の挫折も味わいました。  

しかし、これが人生の転機となり

「父の死を無駄にしない。人生いつ死んでも悔いの残らないように生きる!」

と決めました。そして、ダンサー時代に憧れていたNY生活を目指す事を心の支えとし、NYの大学合格を機に2005年2月-NYに移住しました。

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NYで事件ーセドナへ旅立つ

NYに移住し、憧れだったNY生活を始めた2年目​頃に性被害に遭いました。
その事に関しての癒しと解放のプロセスは別のブログに書いておりますので
同じような悩みを抱えていっらしゃる方や興味のある方はそちらをお読み下さい。⇨コチラ

犯人から身元を隠す為に、スーパーの袋に貴重品を詰めて夜逃げをし、数ヶ月ホームレスになったり、命の危険を感じながら不安定な生活をして過ごした時期がありました。当時の事はショックすぎてあまり覚えておらず、ただ精神状態は普通じゃありませんでした。常に''誰かに襲われることの恐れ'' ''身元が明らかになる事の恐れ’’ の感覚を持ち、ビクビクしていました。(警察で母国に帰る事を勧められたのに、そんな状況でも頑なに日本には帰らなかった私。笑 )

NYに来て日本人という事で性被害に遭い、それ以降、性をキッカケにかなりの恐れが細胞に刻み込まれたんだというのは、今冷静に振り返ると見えた事実でした。
その事実に意識を向ける事すらもできない、物凄い恐れ中にいたので、もちろん誰にも言えず、自分の心の中だけにずっとずっと閉じ込めていました。
その恐怖を自分の中に閉じ込めながら、表面上は普通にNYでの大学生活を続け、
真面目に学校へ行って勉強に励んでいました。
今思うと、私はこれまでどれ程の感情、感覚、思いを、自分の中に押し込めて封印してきたのだろうか?と思う。当時は、それらの感情を感じるに耐えうる器が無かったんだろうと、今冷静に振り返って思います。

人に心配や迷惑をかけてはいけないとか、何でも自分でやらなければいけないとか、こんな事言うのは恥ずかしいとか、あらゆる思い込みから、自分よりも外側を気にして、誰にも助けを求める事ができませんでした。

そして私は、どんどん自分自身と分離してしまいました。

自分のアイデンティティーを失い                      人生に迷い
自分の本当の声を無視しし続け                       

恐れの中で生きていた私は

何が楽しいのか
何が好きなのか
何をしたいのか
どうしたらいいのか

自分の感覚がわかりませんでした。                     あれ程情熱に溢れ、常にやりたい事に夢中だった過去と比較しては、失ったものが大きな事に思えました。

もう2度とダンスはできない。                       そんな私には価値は無い。                         日本で人に合わせる顔がない。

そんな思いで、日本で関わってきた人と連絡を取ることもなく         2度と日本に帰らないと決めてNYで生活していました。

過去の自分と比較しては落ち込み
NYに来てまでパッとしない自分の人生と                  体験した恐れに向き合い​

なんとかして

​​今の自分を変えたい!

自分を、自分の人生を、あの頃の情熱に満ちた大好きな自分を

取り戻したい!

私の人生こんなもんじゃないはずだ!!!



自分自身に対する怒りのようなものが腹の底から湧き出てきました。
そう悩み続けた私に不思議な言葉が浮かんできました。それが


セ ド ナ


カセドラルロック

​​

当時働いてた職場で、フト

という単語が浮かんだのですが、当時は せ ど な が何を意味するのか知りませんでした。後にググると、赤い大地が目に飛び込んできて、一気にその景色に魅了されてしまいました。


セドナという赤い大地のこんな美しい場所がアメリカにあるんだ!!(*♡∀♡*)


それから実際にセドナに旅立ち

私の人生の変容が始まりました。


続く




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