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リハビリの時

自分自身も、相談してきてくれるまわりの人の話を聞いていても、今、なんだか『人生のリハビリ』の時を過ごしているんだろうなって感じます。やりたいことはあるけどうまく形にならなかったり、好きなことさえわからなくなって何も手につかなくなったり、なんだか何をしていいのかもわからずモヤモヤしながらぼーっと過ごしたり。えいや!っと縛られていた何かをやめてみたけど、この先どうしよう、本当にうまくやっていけるのだろうかと悩んだり。

そんな状況って、リハビリのスタートの時みたいで。例えば、足を骨折してこれからリハビリ開始ですよっていう時を想像してみてください。足はギプスで固定されていて全く動かせず、動かせるのかもイメージできず、まだまだ歩くのは先の話。本当にこんな状況で歩けるようになれるのだろうかとか、先の目標は明確に決まっているようで、動けていない現状から、そのイメージができずに、やらなきゃって気持ちと、その先のイメージにモヤがかかっているような感じで、やる気が出ないような。なんとなく、人生のそんな感じの状況の方が多い印象です。

私自身も、最近『今は人生のリハビリ時期なんだなー』って感じています。私にとって、仕事って分野に関してはすごく得意で、やっただけ結果を出せるし、ゲームのように楽しみながら積み上げてレベルアップし続けることができるし、散々20代に馬鹿みたいに努力した分、その結果出しやスキルアップのやり方もわかっているからこそ、今は楽しくて仕方ない日常の一部と化している。とっても楽チンなのです。しかし、プライベートに関しては、私にとって、リニューアルしたい、チャレンジな部分があります。そんなに力を入れてきたわけでもなく、一人でも生きていけるから嫌ならやめてしまえばいい精神で向き合ってきたので(笑)、いわば自分のために、刹那的に人と過ごしてきた、という感覚でしょうか。

そんな時に、とあるお客様の一言がすごく刺さりました。『自分で自分を幸せにすることは散々してきたから、今度は人のために生きてみたいと思って。そこからなんだか人生が変わったんですよね。』確かに聞けば聞くほど、今の生き方とは正反対を数年前まで生きていらっしゃいました。今は、客観的には自由は前よりなさそうでも、すごく楽しそうで、お幸せそうで。そんな生き方、その一言に、すごく感銘を受けて、そうそう、それ、私も次はそれやってみたいんだよね。そう思って、今まで全然着手しなかった分野にちゃんと向き合っていく、この先のそんな『なりたい私』を決めたからこそ、そんな生き方初心者の私は、これでいいのかなとか正解を探してしまうのです。

自分で自分を幸せにすることはもうイージーモードでできるけど、人のために生きることを自分の幸せとして生きていく。そんな生き方の正解なんてないこともわかっているのだけれど、最初は見て、聞いてきた、ある種の正解フォーマットをやってみて失敗したりしながら変えていく、守破離の初期段階を踏む必要もありますよね。そんな、自分の中の生真面目と相談しながら、うまくいかないこともとにかく投げ出さないようにと言い聞かせながら、不器用ながらに、自分が生きたい次の生き方を進んでいくことだけを決めている次第なのです。

そんなモヤっとを抱えながらも今を生きる、私や、周りの友達や、お客様たちは、なんだかもう一踏ん張りなだけな感じもしています。あともう少しモヤっとし続ければ、曇りも晴れてきそう。そんな感覚です。

その感覚って、骨折して全く動かなかった足が、ちょっとずつ初期のリハビリで動くようになってくると、もしかして歩けるかも?って手応えが出てきて俄然やる気が出てきて、目標がクリアに見えるようになってきて、ぐんぐん進めるのと一緒で、今を乗り越えさえすれば、ちゃんとそのぐんぐん進む楽しい時期に差し掛かるはずなのです。

そのためには、とにかく、やってみるしかなくて。間違えてもいい、時間や労力が無駄に終わってもいい、けど、迷うくらいなら、やろうと思ったことをとにかくやってみる。その間違えも、無駄も、後から笑い飛ばせる過去になる日は必ずやってくるのだから。下手くそでいい、笑われてもいい、呆れられてもいいから、とにかくやってみようと思ったことをやってみる。そうやって小さく小さく動き続けることで、動き方を学習した時に、大きく楽しい一歩が前に出せるのです。

できることをただやり続けるより
あえて苦手なことにチャレンジしたり
今までやってこなかったことをやってみたり
そんなちょっと攻めた生き方が自分らしいのです

あなたも、私も。


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