はじめましてと、乾杯を。

救われたと言えば、この数年はずいぶんとお酒に助けられた年でもあった。

お酒が気持ちよく飲めるのは、友人と飲むときと、一人でテレビを見て飲むときだ。そしてそれができるということは、時間にまだ余裕があるということだ。

無駄遣いをやめようと思うことを辞めた。本気で辞めなければならない無駄遣いはいざとなれば辞められるもんだし、これらは無駄遣いじゃなく経済を回しているのだ、と自分を甘やかす行為すらも、わたしの通常運転になっている。すべてこの3年ほどの月日のせいにしたい。

意味なくコンビニに寄り新作を漁ることを、世の中を知るツールやリサーチだとして。
はじめて好きになったアイドルの動向で、批判する人間たちへの怒りを感情の経験値アップとして。


自分の愚痴をこぼすことは私にとってのデトックスであり、本人に伝える不満は世直しにつながる。書きながらちゃんと分かってはいる。気持ち悪いやつだな、と。

苦労せず生きてきたことが、年齢とともに自らの薄っぺらさをまんまと浮き彫りにしてくる。それになんとか意味を持たして正当化しようとして、ちょいとどこかから摘まんだ言葉を口にする。最後に(笑)とつければなんでもオッケー!というノリで。

1歩目は早いが2歩目が遅く、3歩目には少し飽きてしまう私のココロは
新しいことを始めよう!という感覚には慣れているが、何かを始めたこと自体に満足感を得てしまうため続かない。それもどうにか正当化していたが、ここだけは誤魔化すことが出来ないと諦めた部分がある。というよりは、この部分が説明できればわたしの行動のすべてに筋が通る気さえしてきた。

ネバーギブアップ
努力をすれば報われる

日本語としては綺麗だと思うし、喜怒哀楽にはどの感情もマイナス要素はないと知っている。でもこの類の言葉だけは一番苦手で、そして一生知りたくもない感覚だと思っている。

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