母との闘病日記 #①

こんにちは。

私は、元作業療法士(OT)で、今は、三姉妹のママのmiyukieです。昼間は、生後4か月の三女とのびのび過ごしながら、家事育児をやっています。子どもが寝てる間に、noteをかいてみようと思ったのはいいけれど、なかなか…うまくいかないもんですねー。笑


子ども達がいると、賑やかでワイワイ。笑ったり、怒ったり、忙しくも楽しく過ごせています。ですが、たまに、ひとりで家事をしていると、ふわ〜と母を思い出して涙が出ます。


もうすぐ母の三回忌。


〜あっという間に時が経っているけれど、時が止まったままでもある。変な感覚〜

"亡くなった人の事を思い出す時は、近くにきているのよ。”と、母の友人に教えてもらったことがありますが、本当かなー? 残念ながら、私には、そういう感は無く、何も感じません。


もう一度、母に会いたいなー


私は、以前、OTとして働いていた時、緩和ケア・がんリハに関わっていました。勉強会で「がんと告知された時から、緩和ケアが始まります!」と、勉強会で学び、職場でもその気持ちで仕事をしてきたけれど、実際、母の終末期の介護療養をして、母を我が家で看取って、初めて分かった。今まで自分が仕事でやってきた事は、家族の思いとは、何かズレてて、医療従事者の自己満足であったこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

還暦過ぎても、とても元気だった母。優しくて、大らかで、一生懸命な人。バリバリ働いていて、仕事が休みの日に、私や孫達と過ごす時はいつも笑顔。孫達の為に、得意な裁縫で、帽子や洋服、玩具を作るのが楽しみだった母。フェルトで作ってくれた、おままごとセット🍙今、大活躍中です。

画像1

そんな素敵な母を一瞬で病人に変えた言葉。

医療事務で働いていた母は、職場で健康診断があり、レントゲンの検査後に「肺に影があるみたいだから、再検査した方がいいかも」と、職場で話があった様子。

実家に子ども達を連れて遊びに行った日、母は、私に「ちょっと甘いモノ食べよう。パフェなんてどう?」と言って、近所のカフェに誘った。「話があってね…」と、健康診断で肺に影があったことを心配そうに話していた。母は、「私は、煙草も吸わないし、なんで肺に腫瘍があるんだろう。毎日、お散歩しても苦しくないよ。良性だといいんだけど。」と、話していた。私は、「お母さん元気だから大丈夫だよ!パフェ一緒に食べよっ!」と、励まして、子ども達に、「ばあばに、あーんしてあげて〜」と言った記憶がある。今思うと、母は、この時もすごく辛そうな顔をしていた。。

数日後、母は、大きな病院で、詳しく検査をすることになる。採血やら、MRIやら。そこで、母の肺の腫瘍は、複数箇所あることと、肺単独ではなく、どこかの臓器からの転移のようだと言われる。さらに、全身を検査して、母の身体はがんに侵されていて、腎臓のがんが肺に転移している事を知る。母は、腎臓内科がある病院を受診する事となる。

腎臓の腫瘍からの肺転移。全身転移のステージⅣ

「あなたは予後不良。手術も出来ない。」


医者って、人に死の恐怖を伝えることが仕事なの?同じ人間なのに、閻魔大王みたいに、判決を下す。閻魔大王よりもタチが悪い。パソコンの検査データや画像だけを見て、どうして「あなたはもう死にます」とか、言うの?

母の事が心配で、私も母の診察に付き添った。診察の順番が来て、診察室へ二人で入る。腎臓内科の先生は、問診や触診も無く「かなり悪いですね。予後不良ってやつです。これは、手術もできないです。」と言った。この一瞬で母は、末期癌の人になった。(今でも忘れる事が出来ない、あの医者。ハゲかっぱ野郎)。母が「えー、先生、私もう生きれないんですか?」と聞いて「はい。」と言う。パソコンの画像や検査データばかりを見て、母を見ることはほとんどない。ハゲかっぱにとって、母と私は医者としての業務をこなす対象物でしかないんだなーと、思った。患者は、ライン作業のベルトコンベアーでものが流れてくるように「お願いします」と、診察室に入って、「ありがとうございました」と、診察室から出て行く。母と私も、診察室から出る際、死の宣告をした人に頭を下げて「ありがとうございました」と言う。返事はない。

私は、何が起きたか分からない。きっと母は、もっと分からなかったと思う。病院の帰りに、うどん屋に寄って、母と二人で大好きなごぼう天うどんを食べたけど、母は全く箸が進まず、ぼーっと魂が抜けていた。そんな母の顔を私は今まで見た事が無かったから、気を紛らわせようと訳のわからない事を沢山お喋りをしていた記憶がある。そして、母がトイレに行っている間に、スマホで[がんになった人にかける言葉]と、検索した。私自身、どうしたらいいかわからない。母と話す言葉も見つからないし、母がいなくなるの?って悲しさが溢れて涙が湧き出すけれど、母の前では絶対泣いたり、母をこれ以上に悲しませたり心配させたりしたくない。お喋りが空回りしている事、分かっていたけど、止められない辛さ。スマホで検索した時に、気持ちを共有して「一緒に乗り越えよう!」と伝えると良い👍と書いてあったけれど、全然だめ…理解不能、何をどう乗り越えるのか、意味が分からない。私は、うどん屋さんを出てからどうやって家に着いたのか、記憶がない。


母との闘病の始まり。

これから、少しずつ話していこうと思います。書きながら、イライラしたり、悲しくなったり、色々思い出したりして、文章が雑です。嫌な思いをされる方がいらっしゃるかもしれません。すみません。。

ここまで、読んで頂きありがとうございました。

続きは、また、子どもがお昼間している時に書いていきます☺️







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?