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「迷惑をかけない子育て」をやめたら良いのではないか。

私は中高生年子の母。

自分の子育てで思ったこと、主婦として思うことを活かした住まいの設計をしています。

ブログでは家づくりのこと、暮らしのことを主に書いているので、noteで「子育て」について思うことを書いてみようと思います。


子育てで迷惑をかけてはいけないと思っていた

子どもたちが小さいころ、私はいつも言っていました。

「周りの人に迷惑をかけないように」

親の役割として、子どもをきちんと育てる、しつける、ということが「迷惑をかけない」だとずっと信じていました。

今小さいお子さんを育てている方でも、そうするべきだと思っている方は多いのではないかなと思います。

子どもが騒がないように。泣かないように。人の物を傷つけないように。人を不快に感じさせないように・・・。


私が社会から冷たい目で見られたくないだけだった。

私自身は幼いころから周りを見て、周りに気を配る性格でした。怒られる前に、怒られないように気を付ける。

子育てに関しても「今時の母親は」って言われたくないし、「しつけができていない」とも言われたくなかった。

それに反して一人目の子どもの息子は自由奔放。赤ちゃんの頃から笑顔を振りまいて、自分のやりたいこと、好きなものにまっしぐらな性格でした。

好きな子と遊びたくて相手を転ばせてしまったこともあるし、行きたい場所に向かいたい息子を引き留めるために繋ぐ手(腕)を脱臼させてしまったことも数回。

わかってくれない息子に理解してもらいたくて大声で怒鳴ったこともたくさんあるし、手をあげたこともある。

今ではそんなことしなくても良かったのに、って思います。でもあの時は必死だった。「しつけができない親」だと思われたくなかったから。

つまり、私自身が社会から冷たい目で見られたくなかった。息子のためではなく、自分のためだったんですよね。


反抗期になった子どもたちが教えてくれた

息子と娘はそれぞれ中1のときに反抗期となり、それぞれと相当なバトルをしました。

もう二人ともある程度落ち着いているので笑い話になっていますが、男子定番の「壁をぶち抜く」っていうのもやりました。(ちょうどリフォーム予定していたトイレの壁でした。その辺もわかっていて蹴ったのかも(笑))

彼らの反抗期は私には想像できない世界がありました。

「自分が受け止められない世界は、受け止めない」

周りに合わせる気なんて全くない。社会からの目なんて一切気にならない。大事なのは自分自身の気持ち。


正直、驚きました。私は周りの様子を見て「迷惑をかけない」のが普通だったから。そのためであれば少々我慢しても平穏に過ごせると思っていたから。

でも周りと同じことをしない、周りに多少迷惑をかけたとしても、自分の心を優先させた子どもたち。揺らぐ思春期の心で、まっすぐその意思をもっていたんですよね。

そして不思議とそんな子どもたちの態度を私の知人はみんな褒めてくれた。

学校の先生方も精一杯協力してくれた。


私は「迷惑」の意味を勘違いしていた、ってその時気づいたんです。


本当にしてはいけない迷惑を知っていればそれでいい

・子どもが保育園、学校や公園で大声をだすのが迷惑だ

・子どもが騒いで物を壊されそうなのが迷惑だ

・公園でのボール遊びは危ないから迷惑だ

・日中、中学生が出歩くと迷惑なので午前授業の日は午後自宅待機

・電車で赤ちゃんが泣くのが迷惑だ


それらを「迷惑」として苦情を言う人こそが迷惑だと今は思います。
もちろん限度を超えているケースもあります。
それは子どもだけが悪いのではなく、子どもが理解できるように説明できる大人(それは苦情を言う人も含め!)が社会にいないことも悪いのではないかな。

「しつけができない子育て」「しつけができない親」が悪い。

って言う人がどんな子育てをしているのか私は知りたいです。完璧な子育てによって育った大人がどんな人なのか、どれほど完璧な大人なのか。

絶対にしてはいけないこと(故意に人や物を傷つけること。犯罪)さえしなければ、少々の迷惑をかけるのはお互い様。そうやって不足する部分をあたたかい気持ちで補いあえる社会の子育てこそ必要なんじゃないかな、って私は思います。

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