文字を持たなかった昭和 百五十四(おやつにふかしイモ)

 おやつの話ついでにもう少し続ける。

 母ミヨ子が子育て時代に用意していたおやつには「ふかしたサツマイモや、家で穫れた果物の中から出荷できそうにないものを適当に出すこともあった」と書いた。鹿児島で「カライモ」と呼ぶサツマイモは、手をかけずに作れるためどこの農家も植えていたし、農家でなくても庭の隅に植えているお宅もあった。要は、鹿児島の気候と土壌(まさに風土)がこの作物の生育に極めて適しているのだった。

 ミヨ子や夫の二夫(つぎお)たちも毎年、ある程度の広さを畑の中で確保してサツマイモを植えた。地面を這うようにツルを延ばして育つサツマイモは、台風の多い鹿児島では風害の影響を受けにくい作物だ。

 夏には朝顔に似た清楚な花で目を楽しませてくれたあと、秋になると地下茎をまるまると太らせた。ツル状の芋の茎を引っ張りながらサツマイモを収穫するのは、子供たちにとっては楽しかったが、ツルや芋の切り口から出てくる白い液体がべとつくのには閉口した。

 収穫したサツマイモを農協などに出荷した残りは、カゴに入れて納屋に山積みにしておいた。もっと長期に保存したい場合、地面に穴を掘って藁を敷いた中に置き、上から藁をかぶせて埋めておくこともあった。

 そうやって翌年の秋まで間断なくサツマイモを食べ続けるのだ。

 おやつとしてのいちばん手軽な食べ方は、やはりふかしイモだ。たいていは、出荷するほど大きくない小さいイモばかりを集め、ごはんを炊く羽釜に入れて少なめの水を張り、蒸しゆでするようにして煮た。上のほうのイモが蒸気で柔らかくなる頃には、羽釜の水はほとんどなくなった。たまに底に置いたイモが少し焦げたようになることもあったが、ごはんのお焦げを甘くしたようで、それはそれでおいしいものだった。

 ふかし上がったイモをその場で食べることもあったが、大きめのお弁当箱などに入れて野良のお茶請けに持って行ったり、子供たちのおやつにと皿にとってふきんをかぶせて置いておくこともあった。

 皿に取る暇がないときは、羽釜に蓋をかぶせておき、自分で取って食べるように書き置きすることもあった。
「ハガマニカライモガアルカラ、タベナサイ」
 ミヨ子の書き置きはいつもカタカナだった。

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