文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話3 食欲

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた。2回ほど寄り道したが、先日帰省した際のミヨ子さんの様子について続けよう(前々項前項に続く)。

 前々項で「思ったより元気」だったことを述べたのだが、ミヨ子さんの元気の源は、まちがいなく「よく食べる」点にあると確信する。人間(動物)は口から食べられなくなったら終わり、とよく言われるが、ミヨ子さんはその逆を地で行っていると思う。

 朝起きて手洗いと洗顔を済ませ、ダイニングの椅子に座ったら「ご飯はまだかしらね」。デイサービスでの昼食も毎回完食らしい。夕方デイサービスから帰ったあともおやつを食べる。あまり間食しないわたしなど、「晩ご飯も近いんだからいま食べないほうがいいのでは?」と思うが、おやつは「別腹」のようで、ご飯はご飯でしっかり食べる。

 とにかく食べ物が目の前にあると、すぐに食べたくなる様子。お土産などを前にみんなでおしゃべりしていると、話より食べ物が気になるようで「それは何?」。その場にいた全員で苦笑しながら「じゃあ食べようか」という場面が何回かあった。

 いただきものが目につくところに置いてあると、それも気になってしかたがないようだ。息子(兄)が友人からもらったというサワーポメロ〈243〉を台所とダイニングの間のカウンターに置いておいたところ、そこを通るたびに「あれ、食べたいねぇ」と呟いていた。わたしは内心「一度はもう食べさせたんだけど」。

 よく、認知症の方は自身が本来持っている「欲」が強く表れるという。食欲の人もいれば、性欲、所有欲(盗み)の人もいると。

 前々回の帰省で、ミヨ子さんが「(昔は)ひもじかった」と呟いたことがあった(帰省余話21「ひもじかった」)。嫁に来てから十分に食べられなかったのかも、あるいは貧しかった子供の頃の原体験からか、と考えたのだが、ここまで強く食べることに執着する原因、背景はなんだろう、と再び考えずにいられない。

 お嫁さん(義姉)は「満腹中枢がちょっと壊れてるのかな」と言っていたが、もしそうなら、医療的なアプローチが必要だろう。しかし、食べる量は提供する側(お嫁さん)のほうで程度コントロールできているし、ずっと食べ続けているわけでもないから、体に悪影響があるというほどではないだろう。

 だったら、食べたいと思うものを食べたらいいんじゃないの? 楽しみと言えるほどのものはもうなく、食べることがいちばん楽しい、うれしいんだったら、それでいいじゃない。

 娘としては、「ただ食べるだけ」になった母親を見るのは、じつはつらいものがある。同居している息子はもっとそうだろう(だからときどき「もうそのくらいにしたら」と言う)。でも、だからと言ってほかの「何か」をしてあげられるわけでもない。

 年老いた親と対峙することは、自分の限界を知ることでもある。

〈243〉文旦(ぶんたん)の仲間、熊本ではパール柑、高知県では土佐文旦などと呼ばれる。果実は直径20cm前後、重さは600gほど、球型または洋梨のような形をしている。あっさりとした甘味があり、果肉はサクッとした食感。
《参考》
かごしまぐるりよみもの>鹿児島の柑橘フルーツサワーポメロ 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?