文字を持たなかった昭和337 梅干し(9)土用干し②

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに、庭の梅の実下漬けしてから、あく抜きした赤紫蘇を加えて漬け込む。梅雨明けを待って、赤く染まった梅の実を取り出し天日干しする「土用干し」が始まった。

 なお、ミヨ子たちはたんに「梅を干す」としか言っていなかったことは前回書いた。

 インターネット上の手作り梅干しの指南では土用干しの手順はこんな感じだ。
・1日目は日中のみ天日干しし(前回ではここまで)、取り込んだあとは再び漬け容器(ミヨ子の場合甕)に戻して梅酢に漬け込む。
・2日目、再び梅の実を一粒ずつ取り出してザルなどに広げる。夕方になっても取り込まず、そのまま夜霧に当てる。
・3日目も2日目の状態で放置し、夜また夜霧に当てる。
・4日目、ザルから長期保存用の容器に移す。

 ミヨ子の家の場合、たしかに日中長時間日の当たる場所にザルが置かれた。庭から1メートル近く高くなった畑の土留めである石垣の周辺がいちばん日当たりのいい場所で、大小のザルが直接石垣の際に並べられた。

 夕方日が陰ると、ザルは納屋の中に移動することもあれば、軒下に置いてあることもあった。畑近くの石垣は、夜霧どころか夜露が下りて濡れてしまう。もしかすると軒下に置いたのは2日目と3日目の夜だったのかもしれない。もっとも「夜霧に当てる」という言い方は誰もしていなかった。長年の習慣と経験則から「梅を干すときはそうする」ことになっていたのだろうし、3日間干していたのかも二三四(わたし)には曖昧だ。

 ともかく、夏の本格的な晴天が続くようになると、文字通り「梅干し」が行われた。干している際中の梅をちょっと摘まんでみるのも、二三四には楽しみだった。梅の実を触ろうとすると、ミヨ子から
「濡れた手で触ったらだめだよ」
と注意された。

「ひとつ、食べてみるだけ」
そう言って摘まむ梅の実の味は、まだとがってはいるが、下漬けしただけの「塩梅(しおうめ)」とは違って、紫蘇の香が加わり梅干しらしい。色がまだきれいな赤紫色なのも気に入っていた。

《主な参考》
自家製 梅干しの作り方 | やまむファーム (ymmfarm.com)

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