文字を持たなかった昭和 続・帰省余話26~なぜ、いま?

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 今度は先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、ミヨ子さんとのお出かけを振り返っている。桜島を臨むホテルに泊まり離島住まいのミヨ子さんのいちばん下の妹・すみちゃんも交えてディナーを楽しんだ。翌日、島へ戻るすみちゃんとお別れしたあと、実家近くの古いお墓へ行くもミヨ子さんの脚が動かず、結局二三四(わたし)だけがお参りした。

 そのあと、数年前郷里にできたグランピング施設にチェックイン。隣接する温泉施設で、前回の帰省では入り損ねた介護湯と呼ばれる家族湯を、今度こそ利用できた。ただ、達成感でいっぱいの二三四は、お風呂上りのミヨ子さんの様子が少しおかしいのに気づいていなかった。

 入浴後は、ミヨ子さんを乗せた車椅子を推していったんグランピング施設のホテル棟の客室へ戻る。使ったタオル類を片づけたいし、二三四はまだ髪を乾かしていない。ホテル内のレストランは部屋着のまま行けばいいから、18時の夕食まで30分くらいは休憩できそうだ。ミヨ子さんに
「ちょっと横になって休憩したら」
と声をかけ、二三四はドライヤーを手にした。

 お風呂で使った道具も片づけた。「オーシャンビュー」の部屋からは、傾きつつある太陽に照らされて、東シナ海に注ぐ河口の水面がキラキラ輝くのが見える。
「お母さん、外がきれいだよ」
と二三四は声をかけそうになり、呑み込んだ。

 もともと窓際の通路は狭く車椅子では回りこめない。前回、半年ほど前の宿泊のときはバルコニーまでミヨ子さんを連れてこられたし、掃き出し窓の側に置いた椅子にミヨ子さんを座らせて外を眺めてもらえた。でも今回は、窓際までの数歩を歩いてもらうのが難しい。

 できること、してあげられることが、またひとつ減った。二三四は切ない気持ちも呑み込む。

 そろそろ18時という頃、二三四はミヨ子さんに「ご飯に行こうか」声をかけ車椅子に移ってもらおうとした。そのタイミングでミヨ子さんが
「トイレに行きたい」
と言う。レストランやフロントがある1階まで行けばユニバーサル仕様の広いトイレがあるので、「下の広いトイレに行かない?」と謂うと
「いや、いま行きたい」。

 んーー、しかたないな。ほんの2メートルくらいだが車椅子に乗せてトイレの入口へ誘導し、便座に腰かけさせようとするが、ここは「ふつうのトイレ」なので、体の向きを変えるのに手摺もなく、ミヨ子さんも二三四も難儀する。なんとか座る体勢に持っていき、部屋着のズボンと紙おむつをおろしたが――
間に合わなかった。

 トイレの床にお小水がこぼれ、お風呂に入ったばかりのミヨ子さんの足にもかかっている。すでに漏れていたのだろう、おむつに敷いたパッドも濡れている。ズボンにも少しかかった。
「えー、このタイミングで?!」
二三四の頭の中は、一瞬真っ白になった。

※前回の帰省については「帰省余話」127

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