文字を持たなかった昭和504 酷使してきた体(16)ねじれ腸

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
 
 このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記している。もともとあまり丈夫でなかったこと、体にあった病気などの痕跡、体にも影響を与えたであろう心配性とそこからくる不眠などに続き、働き盛りを過ぎてからのこととして自転車で転倒し右手がうまく使えなくなったこと子宮がん胆石等など。若い頃からよく口にしていた不調として、鹿児島で一般的に肩こりを指す「へっが痛か」という状態も。

 1990年代前半、ミヨ子が60代前半のときに子宮がんが見つかった際は子宮を全摘した。術後の定期検査を経て「もう転移はないでしょう」という段階も過ぎ、このまま年齢相応の機能低下――つまり老化が進んでいくのだろうと、ミヨ子本人も周りも思っていた。

 一方、夫の二夫(つぎお。父)は直腸がんを患ったものの切除して元気を取り戻し、周囲から長生きすると思われていたが、平成23(2011)年の春先に亡くなった〈217〉。そのためミヨ子がひとり暮らしをしていた頃。もともと便秘がちだったミヨ子は、お腹の痛みに見舞われた。ふだんよくある便秘痛でもないし、悪いものを食べたときの反応でもない。車の運転ができず、この頃は「通院」と言えばタクシーを呼ぶことが増えていたミヨ子はいつものようにタクシーを呼び、行きつけのクリニックに行った。

 見立ては「腸のねじれ」だった。娘の二三四(わたし)から定期的にかかってくる電話で近況を尋ねられたミヨ子は、昔聞いたことのある「腸捻転」という病名に置き換えて、不調を説明した。

 クリニックからは処方箋のほかに「食生活で気をつけること」というリーフレットをもらった。そのいちばん上には、「消化の悪いものはできるだけ避ける」とあり、例としてキノコ類、海藻類、繊維の多い野菜などが挙げてある。食べて差支えないものとしては、肉なら鳥のささ身、魚なら白身とあった。ミヨ子はそのリーフレットを手元に置いて、食品の買い物や料理の参考にした。

 一人暮らしだと食べるものは単調になりやすい。惣菜を買ってくればバリエーションを増やすこともできるが、「足」がないから買い物ひとつも不自由だ。いきおい、畑で作った野菜と、買い置いて冷凍しておいた食品が中心になる。もともと料理上手とは言えないミヨ子は、作る料理もワンパターンになりがちなのに、食べられるものが制限されるとなると、料理の幅はますます狭くなった。

 娘の二三四(わたし)も帰省の機会にそのリーフレットを読んでみた。砂糖も摂りすぎないように、と付け加えてある。消化吸収は問題なさそうだが腸の活動に影響を与えるのだろうか。リーフレットに一通り目をとおした二三四は
「お母さん、このお知らせのとおりにやってたら、食べるものは何もなくなるんじゃない?」
と突っ込んでみた。ミヨ子は
「そうねぇ…。でもまた痛くなったらいやだから」
と返した。

 夫の食事に気を遣う必要がなくなり大いに「解放」されたはずなのに、ミヨ子は自分で自分に制限を課すような食生活をしていた。

 このままではほんとうに食べるものがなくなる。なんとか栄養を補給しなければ。二三四は帰省中の食事の買い出しのとき、野菜ジュースやヨーグルトなど、「消化を妨げずある程度栄養を摂れそうなもの」を追加した。野菜ジュースは日持ちするタイプのものをたくさん買って
「同じようなものを兄ちゃんに買ってきてもらって。わたしが送ってもいいし」
と付け加えた。

 甘いものが好きなミヨ子には、日持ちする焼き菓子なども買い置きしてあげたかったが、お医者さんから渡されたリーフレットの文言を逐一実行しようとするミヨ子は
「砂糖が入ってるものは、たくさんは食べられないから」
と遠慮した。

 リーフレットの文言を厳密に実行していたら消化機能に影響を与えることはないかもしれないけど、消化する食べ物自体を体に入れられず栄養失調になってしまう。二三四は真剣に心配した。
(「ねじれ腸、その後」に続く)

〈217〉二夫の死については「483 困難な時代(42)土木作業に出る⑦肺の疾患」で触れた。

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