文字を持たなかった昭和483 困難な時代(42)土木作業に出る⑦肺の疾患

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 あらたに、昭和50年代前半に取り組んだハウスキュウリに失敗し一家が厳しい生活を送った時期について書いている。家計は八方ふさがりな中、舅(祖父)が苦労して手に入れた田んぼを1枚は手放したこと、夫の二夫(つぎお。父)はついに土木作業に出る決断をし、地下石油備蓄基地の建設現場で働いたことなどを述べた。

 持前の几帳面さと好奇心から二夫は仕事場でのことを手帳に細かくメモし、慣れない環境での肉体労働ながら仕事を楽しんでいる様子もあったが、やがてコンクリートなど建築材料の粉塵が原因と思われるアレルギーに悩まされるようになった

 当時のことではないが、粉塵について娘の二三四(わたし)が思い出したことがある。

 二夫自身の来し方はいつか改めて書き溜めるつもりでいるので、ここでは亡くなったときのこととして少しだけ触れておく。

 「二夫さんはいつも元気だから、寿命も100歳は確実だね」という大方の予想に反して、二夫は83歳で亡くなった。東日本大震災が発生する前の2月上旬の夜中である。心肺停止状態で運び込まれた病院で撮ったX線写真によれば、肺が真っ白だったという。死因は肺炎だった。

「最近も普通に畑に出たりしてらして、そんなふうに見えなかった」
「その日の夕方も、犬を散歩させてらっしゃるのを見かけたのに」
と近所の誰もが口を揃えた。ミヨ子も
「亡くなる日の昼間は植木の剪定とかして、夜は晩酌もしてご飯もふつうに食べた」
と言っている。

 ただ数日前から咳をしていたらしい。「真っ白」だった肺について、ミヨ子は二夫が若い頃の一時期墓石屋さんで働いていたことを振り返り、
「あのとき塵肺になったのかねぇ〈207〉」
と呟き「タバコも、若いころから吸ってたし」と付け加えた。

 が、今回石油備蓄基地の作業(の一端)を振り返ってみて、あの時期の作業が肺にダメージをもたらしたのではないかと、娘の二三四(わたし)は思い始めている。

〈207〉塵肺:小さな土ぼこりや金属・鉱物の粉塵ふんじんなどを長年にわたり大量に吸い込むことで発症する、肺の線維増殖性病変。発症すると咳や痰、息切れなどから始まり、長い年月をかけて肺がんを発症することもある。主に鉱山や工事現場、建設業などでの作業に関連して発症するため、“職業性肺疾患”の1つとして認識されている。
《参考》
 メディカルノート 〉じん肺について

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