文字を持たなかった昭和482 困難な時代(41)土木作業に出る⑥好事魔多し

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 あらたに、昭和50年代前半に取り組んだハウスキュウリに失敗し一家が厳しい生活を送った時期について書いている。家計は八方ふさがりな中、娘の二三四(わたし)は仕送りを受けない方法で県外の大学に進学したこと、舅(祖父)が苦労して手に入れた田んぼを1枚は手放したこと、夫の二夫(つぎお。父)はついに土木作業に出る決断をし、地下石油備蓄基地の建設現場で働いたことなどを述べた。

 二夫は持前の几帳面さと好奇心から仕事場でのことを手帳に細かくメモし、慣れない環境での肉体労働ながら仕事を楽しんでいる様子もうかがえた。

 しかし、好事魔多し、というべきか。もとより楽な仕事ではなく「好事」といっても生活が安定したぐらいのものなのだが、やがて二夫は皮膚炎に悩まされるようになる。手指が痒くてしかたがない様子で、市販の皮膚用塗り薬を買ってきては風呂上りに擦り込む、という日々が続くようになった。

「コンクリートかな…」
二夫は呟く。作業でコンクリートを扱うと症状がひどくなり、扱う場面が少ない日は症状が軽くなると言うのだ。

 地下トンネルを掘る現場で粉塵が大量に発生することは「土木作業に出る④」で触れた。粉塵にはもちろん土埃も含まれるが、掘った地中の壁面に吹き付けるコンクリートなど建築材料由来のものもある。閉鎖されているに近い空間で、そんな人工の化合物が含まれた材料に日常的に触れたり、粉塵を吸い込んだりしていれば、アレルギーにもなるだろう。

「お医者さんで診てもらったら?」
痒がる二夫にミヨ子は言ったが
「痒いぐらいで仕事を休んで医者に行けるか」
という答えが返ってきた。昭和一桁生まれの男の強がりでもあったが、二夫はそもそも医者嫌いだった。それより何より、休んだ分給料が減るのを避けたいという気持ちが半分以上だった。

 ミヨ子は何も言えない。二夫が仕事に行けなくなれば借金の返済が滞るのも明らかだ。ミヨ子は何も言えず、せめて力がつくような食事を用意し、機嫌をそこねないよう気を配るしかなかった。

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