文字を持たなかった昭和317 スイカ栽培(26)収穫の目印

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べてきた。苗を植え受粉させ大きくしたい実以外は摘み取り、実が色よく均一に大きくなるよう向きを調整してやるなど、手塩にかけて収穫にこぎつける。出荷前には家族総出でスイカの皮を磨いいたりもした

 一連の経過の中で、書いておきたいことが抜けていた。時系列としては少し戻る。

 スイカを作っていた頃を振り返っていて、竹を細く割った棒の先端付近に、ペンキで色をつけたものを使っていたことを思い出したのだ。箸ぐらいの太さで、長さは30~40cm程度。竹は屋敷の裏庭にもたくさん生えている身近な素材で、農業資材としてもふだんから活用していた。二夫(つぎお。父)は切り出してきた竹の枝を落とし、適当な長さに切ってから細く割った。その1本1本に、筆を使って赤いペンキを塗っていくのだ。

 塗ると言ってもべったりでではなく、横にチョンチョンと線を入れる感じだ。線の本数は1本もあれば2本、3本もあったように思う。何かの理由で線の本数が違うのは明らかだった。

 ペンキはそれほど多量に使うわけではないので小さい缶だった。それでも使いきれなかったのか、保管状態が悪かったのか、蓋の周辺がカピカピに乾いてしまい、開けるに開けられないペンキ缶と、同じく乾いて固まった筆が納屋の隅に置かれていたこともある。

 ペンキを塗った竹の棒はたくさんあった。総数は数十本といわず、百本単位で使っていたと思う。スイカ畑で見ることもあれば、農業用の丈夫なビニール紐で束ねて納屋にしまってあることもあった。それぞれがどんなタイミングだったか、二三四(わたし)は思い出せないでいた。

 いったいあれは何だったか。

 ずっと考えていたが、スイカ栽培の解説サイトのおしまいの方、「収穫」のコツの部分にこんな趣旨の記述があった。「スイカは収穫時期の見極めが難しい。きっちり管理する場合は、人工授粉した日付をラベルに記入してツルに巻きつけておくとよい。」

 これを読んで思い当たった。あの竹の棒の赤い目印は、受粉を施した時期を示していたのではないか。竹の棒には1~3本の線が入っていた。例えば1本はその月の上旬を、2本は中旬を示す、という具合に使い分けていたのではないか。

 思えば、トンネルの中の竹の棒はスイカの脇に立ててあったように思う。収穫は、この目印で成長具合を推測し、最後に外見や叩いたときの音で判断したのではないか。

 竹の棒については、もしかすると二夫たちから教えてもらったのかもしれないが、あまりに普通に存在していたので、それが意味するところをきちんと理解していなかった。いや、竹の棒に限らず、両親がしていることを、深く理解しようとしていなかった。あまりに当たり前の、日常だったから。

 そんなふうに、探そうとしたときには手に入らない。大切なものほどそう。

《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  


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