文字を持たなかった昭和 百二十九(つけあげ)
昭和30~40年代、母ミヨ子たちが住んでいた集落に近い個人商店「マッちゃんち」やオートバイで来ていた魚売りが、大きな港のある隣のK市で作った「つけあげ」〈105〉も売っていたことを書いた。
魚のすり身を油で揚げたものだから家庭でも作れそうだったが、ミヨ子が手作りしている姿はほとんど見たことがない。もちろん上等な白身の魚のすり身を使ったつけあげもあるが、一般家庭でお惣菜感覚で食べるものは、「下魚」*と呼ぶ青魚を使うことが多かった。
ミヨ子自身に青魚のアレルギーがあるため手を出しにくかったのだろうし、フードプロセッサーなど存在せず、すり身と言えば擂り鉢で擂るしかなかった時代、手間がかかるためでもあったろう。
それでも何回かは作ってくれた。
三枚におろしさらに粗く叩いた魚の身を擂り鉢に入れて擂る。人の手で擂るからそうそう滑らかにはならない。そこへ、水切りした木綿豆腐、卵を加える。味付けは塩、少しの醤油、そして砂糖。鹿児島の料理に砂糖はつきものだ。味付けしたすり身をよく混ぜたら、小判型に整形して揚げる。
書いてしまえば簡単だが、家庭用の擂り鉢の中ですり身を調合するのは、なかなか手がかかった。油も、ミヨ子の家では菜種油を使っていたから――当時はサラダ油という商品は、少なくとも身近にはなかった――軽くカラッと、という具合には仕上がらなかった。
それでも揚げたての「つけあげ」は家族、とくに子供たちから喜ばれた。
〈105〉鹿児島以外で「さつまあげ」と呼ばれる練り物。北部九州では「てんぷら」と呼ぶ。
*鹿児島弁:げいお。魚は「いお」、魚の中でも上等でない種類なので「下魚」である。主としてワシやサバなどの青魚。
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