文字を持たなかった昭和 百二十一( マッちゃんち)

 「百十九(豆腐)」で、鹿児島の農村(わたしの郷里でもある)にあった食料品兼雑貨店2軒について触れた。2軒は国道を挟んではす向かいにあり、ミヨ子の(つまりわたしの)家から歩いて10分くらいと、田舎でちょっとした買い物をするにはまあまあ便利なところにあった。わたしも親や、ときには同じ集落に住んでいた母方の祖母の買い物にくっついて行くこともあった。

 2軒のうち規模がやや大きいほうの店は国道を渡らなけばならなかったこともあり、ミヨ子は小さいほうの店に行くことが多かった。ここはマツさんというおばさんが経営していたので、近隣の人びとは店を「マッちゃんち*」と呼んでいた。正式な店名として店の入口の上の壁に、マツさんの苗字に続けて「〇〇商店」と書かれていたような気もする。

 「マッちゃんち」には一通りの食品と、簡単な雑貨が置いてあった。業務用の大型冷蔵庫はまだなかった時代はもちろん、それが普及してからも店が狭くて置けなかったので、常温で陳列できるものが主体だった。小麦粉やパン粉などの粉類、乾物類、調味料、缶詰、ちょっとしたお菓子などなど。

 「百十九」では店で豆腐を扱っていることも書いたが、こんにゃくも豆腐と同じように、水を張った容器に入れて売られていた。当然ばら売りである。

 ミヨ子の好きながんもどきもあった。鹿児島名物の「つけあげ」――鹿児島以外ではさつまあげと呼ぶが――は、隣の市の大きな漁師町から売りにきたものが置いてあった。お惣菜に近いこれらの食品は、網戸を張った棚に置かれていた。

 冷蔵庫がないわけではなかったが、左右にスライドさせる扉が上部についた小型のものだった。子供たちが目を輝かせるアイスもここにあった。

 食品以外では、せっけんや洗剤類、タワシ、土間帚などの日用品もある程度売っていた。ただ店が狭いので全体の品ぞろえはいまひとつだった。そのため大型のもの、大量な買い物のときは、もう1軒の店に行くことになった。

 しかし、もう1軒のほうについてミヨ子は「店が大きい分たくさん仕入れているから、回転が悪くて鮮度がよくない」と言って、「マッちゃんち」での買い物を好んだ。

*鹿児島弁: マッちゃんがい。 「マッちゃんが(の)家」が縮まったもの。「〇〇の家」は総じて「〇〇がい」と言っていた。
例)二三四さんがい(二三四さんの家、二三四さん宅)


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