文字を持たなかった昭和323 スイカ栽培(32)スイカの季節の終わり

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べてきた。苗を植えてからひと月半ほども世話を焼き、手塩にかけて収穫にこぎつけ農協に出荷する親戚や知人などにあげたり、家で食べたり…。そうそう、最初の収穫のときはいちばん出来のいいスイカをまずご先祖さまにお供えした

 そうやってほぼ家族総出で――もちろん稲作や、まだやめてはいなかったミカン作り、季節の野菜作りなども並行しつつ――慌ただしく過ごしたひとつのシーズンが終わる頃。時期としては露地もののスイカが出回り始める、夏休み直前の頃だろうか、ミヨ子たちの生活の中心にあったスイカ畑からスイカの実はだんだんと姿を消していく。まず出荷できそうな出来のいい実が姿を消し、中途半端な実や、自然に受粉して大きく育ち切れなかった実が残される。

 中途半端な実はお茶代わりに食べたりもするが、そのあとはあえてしばらく手を入れない。朝夕温度や湿度の調節のために開閉したトンネルも開けっ放しのままだ。後片付けのしやすさを考えて、スイカの蔓が枯れていくように仕向けるのだ。

 相手は自然の生き物なので、パソコンをシャットダウンするように、あるいはアプリをダウンロードするように、一発で「全て終わり」にすることはできない。1、2週間ほどは、そうやって放置していたように思う。

 それでも雨が続けば枯れるのは遅くなるし、個体として丈夫な蔓はなかなか枯れないばかりか、放っておいた実が大きくなっていたりもする。

 蔓や丸々とした実であれほど賑やかだったスイカ畑に荒涼が忍び寄り、しかし一部にはしぶとく命が残っている光景は、子供だった二三四(わたし)にも畏れ多いなにかを感じさせた。

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