文字を持たなかった昭和362 ハウスキュウリ(11)設置や植えつけの時期

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは昭和50年代前半新たに取り組んだハウスキュウリについて述べており、労働力としての当時の家族構成や、長男の和明(兄)を働き手として当てにできなくなったこと、ビニールハウスの場所規模構造、そしてキュウリの苗を植えつけたところまで書いた。

 前後するが気になっていることを補足したい。

 「当時の状況――労働力」などで述べたとおり、ハウスキュウリに取り組み始めたのは昭和52(1977)年だが、ビニールハウスを建てたのはその年のいつ頃だったのだろうか。具体的な準備に取り掛かったのは、秋の収穫が終わって落ち着いた頃から、と考えるのが自然だが。

 もともと水田だった土地なので――そこがいったい「誰の」田んぼだったのか、誰かの田んぼを何かの理由で農協が買い上げたのか、いまだによくわからない――、水をきちんと抜いて畑作に合うように土を整えるには、時間がかかっただろう。「設置」で触れたように、ハウス内の温度を上げるための重油を焚く暖房施設も導入したが、1年目の栽培を真冬に始めるリスクはさすがに取らなかっただろう。

 とは言え、露地もののキュウリが出回る夏までに売り切ってしまわないと、商品価値は下がる、というかハウスで作る意味がない。とすると、収穫と出荷は遅くとも晩春か初夏までには終えるべき、ということになる。

 インターネット上のキュウリ栽培指南によれば植えつけから収穫まで約2か月、現在の技術や栽培環境が前提ではあるが、これを参考にすれば1年目は昭和53(1978)年の2月から3月にかけて、分散して植えつけを行ったのではないかと思う。

 ハウスそのものは当然それまでに建て終わり、「全面稼働」できる状態になっていたはずだ。となると、年末と正月を挟んでの準備作業だったのか。

 一方で、これもすでに書いているとおり、この年は和明が高校卒業を前に就職活動をしていたし、二三四(わたし)は高校受験を控えていた。さらに――この話は項を改めて詳しく書くつもりだが――80歳をとうに過ぎて徐々に認知機能の低下が見られていた姑のハル(祖母)は、晩秋あたりから体も不自由になってきていた。だから、この年、とくに冬を迎える頃からは家の中が落ち着かない状態でもあった。

 客観的に見れば、あるいは結果論でもあるが、新たな事業を始めるには向かない環境と状況だった、と思う。

《主な参考》
【施設栽培】ハウスできゅうり栽培!促成栽培・抑制栽培の時期やポイント | minorasu(ミノラス) - 農業経営の課題を解決するメディア (basf.co.jp)

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