文字を持たなかった昭和517 酷使してきた体(29)歯⑤余談、正露丸

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記しており、そのひとつとして歯の状態に触れている。昭和中期頃のお口のケア歯医者にはあまり行かなかったこと、結果的に70代で総入れ歯にした歯が弱かったのは井戸水のせいかもしれないことなどを述べた。

 「②歯医者」では、むし歯が痛むときは正露丸を詰めてしのいだ、と書いた。下痢・腹痛の薬である正露丸をこんなふうに使うとは、いまの人(?)には理解しづらいかもしれないが、「痛み止めに正露丸」は昭和の時代広く知られた使いかただった。

 正露丸はもともと「征露丸」だったことも思い出したので、現在「正露丸」名の薬品を製造・販売している大幸薬品のサイト「製品ヒストリー」を参考に、正露丸の歴史を少しひも解いてみたい。

――正露丸の主成分であるクレオソートの利用は、紀元前の古代エジプトで木タール(木クレオソートの原料)をミイラの保存に使用したことに始まる。19世紀にはドイツの科学者により木クレオソートの精製に成功、防腐や殺菌の効果を期待して食品、医薬品へと使用が広がり、南北戦争時のアメリカでは消化器系症状への効果が評価されている。

 日本へは1839年、オランダ商館長ニーマンが「クレヲソート」名で長崎に輸入したのが最初。その後軍医森林太郎(作家森鴎外)らにより軍用医薬品として活用され始め、日露戦争時には軍隊の携行薬として製造・配備された。製造権や名称は第二次世界大戦期もそのままだったが、昭和21(1946)年に大幸薬品の創立者が継承(払下げということだろう)、名称やバリエーションを変えながら現在に至っている――。

 軍用医薬品だった当時の名称は「征露丸」つまりロシアを征服する(ための)薬。いまの若い人が聞いたらびっくりだろう。実際日露戦争では大国ロシアに戦勝したのだからさらにびっくりだ。だがそんな威勢のいい名称は、第二次世界大戦での敗戦により大きく揺らぎ、民間に継承された当時はまだ「忠勇征露丸」だったものが、昭和24(1949)年には国際関係に配慮して「中島正露丸」に変更、昭和29(1954)年に「正露丸」と改称され、現在へと続いている(ただし、当時の処方と現在では異なるらしい)。

 ミヨ子たち一家を含む集落、地域では、富山の薬売りさんが巡回して配置する置き薬が愛用されていた。その中には必ず正露丸があった。食品衛生がいまほど厳格でなく、自家製のもの、長期保存のものを中心に食べていた昭和中期までは、食当り、水当りはふつうに起きた。細菌が原因のそれらの症状に、殺菌効果が高いクレオソートを配合した正露丸で対応するのは自然の流れだ。

 それも、軍隊で使用していたという実績、ことに遠征して水の悪いところに行くとき必ず携行していたという実績は、戦争を経験した世代にとっては説得力があったはずで、万能薬のように崇められたとしても不思議ではない。その効果はむし歯の痛み止めにも期待されたのだろう。

 ただ、クレオソート自体かほか成分のゆえか、正露丸を頻繁に歯に詰めると、エナメル質がもろくなり歯が欠けていった。その結果は「②歯医者」に書いたとおりだ。それでも、腹痛、下痢など日々のちょっとした不調からすぐに救ってくれる正露丸は、昭和の庶民、ことに農家の強い味方だった。

《参考》
大幸薬品株式会社>製品ヒストリー>正露丸ブランドサイト

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