文字を持たなかった昭和513 酷使してきた体(25)歯①お口のケア

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
 
 このところはミヨ子の病歴や体調の変化などについて記している。もともとあまり丈夫でなかったこと、体にあった病気などの痕跡、体にも影響を与えたであろう心配性とそこからくる不眠、働き盛りを過ぎてから自転車で転倒し右手がうまく使えなくなったこと、60代での胆石、80代でのねじれ腸などなど。やはり働き盛りを過ぎてからがんを2回患い、60代で子宮を全摘、80代で左乳房を切除したことも述べた。

 その後ほかの話題で寄り道してしまったが、もう少しこの「酷使してきた体」というテーマでミヨ子のことを書き残しておきたい。

 あまり丈夫でなかったと言えば、歯もそうだった。ミヨ子が育って嫁いだ農村では、日常的に歯の手入れをするという概念が乏しかった、という原因がいちばん大きいだろう。もっとも、それはミヨ子たちの農村に限らず、日本のほとんどの庶民に共通したことだろう。

 食後には必ず歯磨きをするとか、その際のブラッシングの方法などが庶民層に浸透していくのは、昭和40年代以降ではないだろうか。高度経済成長を経て衛生用品を含む日用品が豊富になったあと、消費者のニーズは多様化していき、健康管理に関心を持つ人も増えていく。歯の手入れもひととおりの汚れを落とすことから、歯の裏側や隙間まで気を配ったり、歯茎の状態にまで注意できるようになるのは、ミヨ子たち世代が中年に差し掛かってからだった。

 その時期とて、たとえばテレビでさまざまな歯ブラシや練り歯磨きのCMが流れるようになっても、身近で買い物できる場所とそこに並ぶ商品が限られる環境では、結局のところ、歯の手入れの習慣に大きな改善は望めなかった。仮に商品がより取り見取りだったとしても、買えるお金には限りがあっただろう。

 簡単に言えば、ミヨ子たちの歯磨き習慣は、朝起きてすぐ磨くのがいちばん重要で――それは身だしなみのひとつだった――、夜寝る前に磨くようになったのは、ずいぶんあとになってからだった。毎食後、ご飯をよそったお茶碗にお湯かお茶を入れて飲む行為が、口のなかをきれいにすることを兼ねてもいた。学校で「寝る前も歯を磨くべき」と教わった子供たちが、夜寝る前に歯磨きをするようになっても、ミヨ子など大人たちの習慣はなかなか変わらなかった。

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