昭和の習慣「包む」

 NHKの朝の連ドラが今月から変わった。今週は長崎の五島が舞台で、子役のヒロインと五島に住むおばあちゃんや地元の人たちとのやりとりを、しみじみ、ほのぼのした気分で見ている。平たくいうと、安心して見ていられる。

 昨日(10月14日)の放送をもってヒロインは、数か月預けられていた五島(おばあちゃんの家)に別れを告げ、自宅のある東大阪に帰った。港での別れのシーンはこちらまで鼻がツンとした――というより、ズビズビになった。

 朝ドラのあとの情報番組『あさイチ』で司会の博多大吉さんが、別れのシーンでのおばあちゃんを思いやり、「盆と正月には、やっぱり帰らないといけませんよ」と一言。続いて「(自分は)おばあちゃんからティッシュに包んだお小遣いをもらったものだった」という趣旨のことを言い、「ある時ティッシュに包んだものをくれたのでお金だと思ったら、中からガム(おそらく板ガム)が出てきた」と言って笑いを取っていた。

 前置きが長くなったが、大吉さんの発言で思い出したこと。

 わたしが子供の頃――概ね昭和40~50年代前半――、人に何かをあげるとき、たいてい何かでくるんで渡した。

 ご近所や訪問先でお茶をいただいて帰るとき、余ったお茶菓子などを、チリ紙(まだティッシュはない)や、新聞紙で包んでくれた。ちょっと上品な家だと広告紙や、とっておいた何かの包装紙のときもあった。逆もしかり。何を何で包むかは、中身やその量、相手との関係、そのときの状況によって違った。

 もちろん、べとつくようなもの、水分の多いものをチリ紙で包むことはない。ただ、新聞紙や広告紙と違って、チリ紙は二次利用でない「清潔なもの」だったから、チリ紙で包むのはじつは相応に気を遣っている行為とも言えた。

 チリ紙も2種類あって、トイレで使う比較的柔らかいものと、懐紙代わりになるようなどちらかと言えばお出かけ用の、表面が滑らかで丈夫なものがあった。同じ包むのでも、ご近所さんには前者で、少し気を遣う相手には後者、という使い分けもあった。

 チリ紙は、包むことに関してはやがてティッシュに取って代わられるわけだが、ティッシュで物を包む時代は短かったように思う。ティッシュを使うようになる頃には、小分け用のビニール袋や、使い捨てだが捨てるには惜しいプラスチック容器など、包む(入れる)ための素材そのものが多様化したからだ。

 ほどなく、お金を出しさえすれば、気の利いたパッケージ用品がいくらでも買えるようになって、いまに至る。

 考えてみれば、日本人は「包む」のが好きだ。逆に言えば、剥き出しははしたない、と感じるのかもしれない。

 SDGs、エコの観点から、日本的な(過剰な)パッケージが批判されることもある。が、もともとは新聞紙などを使っていたのだし、さらに遡れば風呂敷など何回も使える布で包んでいたのだ。上げ底容器に何重もの包装を施すようになったのは、高度成長期以降、いやバブル期以降だろう。長期デフレで定着した100円ショップで、ラッピング用品がいくらでも買えるいまのほうが、よほどエコに反する。

 昭和な包み方を振り返っても、いいのではないか。貧乏くさいと言われそうだが。

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