文字を持たなかった昭和302 スイカ栽培(11)植えつけ①

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。促成栽培のための「トンネル」設置や、その開け閉めまで書いた。ようやくスイカの植えつけだ。

 インターネット上にある家庭菜園の解説では種を播くところから説明しているものもあるが、ミヨ子たちは必要数の苗を、(おそらく)農協から購入していた。黒くて小さいビニールポットには、高さ10センチほどの苗が育っていた。これを、マルチを張った畝に植えつけていくのだ。

 黒いポリフィルムのマルチのどの位置に苗を植えていくかを決め、カミソリで切れ目を入れるのは夫の二夫(つぎお。父)だった。どこが適当な位置なのかは、おそらく農協の営農指導で学び、先行してスイカを作っている農家の意見も聞いただろう。

 二夫は勉強好きで研究熱心だったから、後年の習慣から推測するに、スイカ栽培用に手帳かノートのひとつも用意し、ポイントや新たな知識をこまめに記録していたかもしれない。二三四(わたし)は残念ながら位置決めの法則について二夫から聞いた記憶がない。トンネルの中央線上、苗どうしの間隔は80センチくらいとってあったような気がするくらいだ。マルチに入れた切れ目は横に20センチくらいだったと思う。

 切れ目を開けた部分の土に窪みを作るのは、ミヨ子の役目。土曜日の午後や日曜日なら、二人の子供が手伝うこともあった。

 窪みをつけたら、苗を植えていく。柔らかいポットを逆さにし、苗は折れないよう指で挟む。反対の手でポットから抜いた土を支えながら、窪みに収める。その繰り返しだ。植えつけにもコツがあったはずだが、これも二三四は覚えていない。植えつけは二夫とミヨ子が行い、空になった苗のポットを回収してまわるのが二三四の仕事だった。

 苗を抜いて軽くなったポットの回収は手間がかからないし、植えつけが進まない限り出番はないから、箱の中にずらりと並んでいる苗を観察したり、二夫が植えつける様子を近くで見たりして時間を潰した。

 苗は、茎の途中から別の植物を接いであるように見えた。植えつけを続ける父親に
「茎の太さが違うね」
と語りかけると、二夫はちょっと手を休めてまだ植えていない苗をこちらに見せて教えてくれた。
「これはカボチャの茎なんだ。スイカをそのまま植えるとよく育たないから、カボチャにスイカを接いであるんだよ」(という意味のことを、もちろん鹿児島弁で)

 へー! カボチャの味にならないのかな。
 というのが幼い二三四の疑問だった。もちろん、そんな素直過ぎる感想は、「プロ」の農家がベストと判断した方法を前に、口に出せるものではないことは、子供心にも察しがついた。というより、父親(家長)の決めたことには疑問を呈さずにしたがう、という家の中のルールが子供にも浸透していたのかもしれない。

 こうして植えつけは延々と続いた。広い畑に何百と作った窪みにすべて植えつけてしまうのは、一日では終わらなかった。植えつけが間に合わない苗は、箱に入れたままトンネルの中にまとめて置いておき、翌日以降に備えた。

《主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  

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