文字を持たなかった昭和301 スイカ栽培(10)トンネルの開け閉め

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。促成栽培のための「トンネル」設置と、道具や資材を手作りしていたところまで書いた。

 つまりスイカを植えるところまでたどり着いていないのだが、トンネルを覆うビニールシートを固定したビニール紐が出てきたついでに、トンネルの開け閉めについて書いておきたい。なんとならば、開け閉めの作業に深く関わるからだ。

 トンネルは保温や雨よけのために設けるものだが、逆に気温が上がりそうなときや雨が降らないときは換気する必要がある。スイカに限らないが、大規模な促成栽培に取り組む農家がのちに採用するような、換気装置がついて窓も自動開閉するような大型のビニールハウスと違い、トンネル内の環境調整は人の手にかかっていた。

 放熱や換気をしたい場合、ビニールシートの裾をたくし上げる。シートは固定用のビニール紐で押えられているので、上に上げても風でめくれあがったりすることはない。が、押えられている分上げるのには少し力がいる。保温や雨よけのためにトンネルを閉めたいときは、上げてあったビニールシートを裾まで下ろす。

 ビニールシートを、どのタイミングでどのくらい開けるのか、いつ閉めるのかは主に二夫(つぎお。父)が判断したが、慣れてくるとミヨ子も
「今日は暑くなりそうだから開けておきましょうかね」
などと自分から声をかけるようになり、そのうち開け閉めのタイミングや加減もミヨ子にも任されるようになった。

 小学生の子供たちも二夫やミヨ子について行って手伝った。開けるのは午前中だが閉めるのは夕方が多かったので、平日でも放課後に手伝うこともあった。慣れたら閉めるのは一人でもできた。

 昭和40年代前半、90歳を数えつつあり腰も曲っていた舅の吉太郎(祖父)は、田畑に毎日出てはいても鍬で耕す程度だったし、80歳間近の姑のハル(祖母)は、元気だったが新しい農作業には手を出さなかったので、若夫婦主体で子供たちが手伝い、忙しいときは近所から加勢をもらう、というスタイルが定着していた。

《主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?