文字を持たなかった昭和300 スイカ栽培(9)手作りの道具(補足)

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。前々回までに促成栽培のための「トンネル」をかけるところを、前回では道具や資材を手作りしていたことについて書いた。

 あとから、記憶違いだったかもしれないと思ったことがあったので補足しておきたい。

 トンネルにかけたビニールシートを固定するのに幅広のビニール紐を掛けたのは確かだが、紐自体を固定するために、紐の両端に細い杭を結び付けて杭を地面に埋めた、という部分である。

 トンネルでのスイカの手入れ風景を振り返っていて、ビニール紐が針金に結び付けてあったような気もするのだ。つまり、「マルチ」を張り終わった畝の両側に針金を渡してあった、ということになる。

 針金と言っても太目で、長い畝の始まりと終わり以外にも何か所かに打っておいた杭に巻きつけて張ってあった――――ような気もするのだ。

 この方法だと、ビニールシートを固定する紐は針金に結び付ければよく、何十、何百と必要な紐の全てに小さな杭を2本ずつ結んでおく必要はない。
ただ、丈夫な針金をしっかり固定しておかないと、紐の効果が十分に発揮されないことになる。

 どっちだったのか、初期と最盛期などの時期や農家の考えで違ったのか、あるいはどちらでもなかったのか……。

 「固定用ビニール紐の固定」のナゾを、解いてくれそうな世代の人はもうほとんどいない。いつか誰かに聞けるだろうか。

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