文字を持たなかった昭和298 スイカ栽培(7)トンネル②

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。前回は促成栽培のための「トンネル」をかける第一段階、竹の支柱を立てる作業を書いた。その続きである。

 畝の片側の支柱を立て終わったら、反対側も立てる。二夫(つぎお。父)は、畝の上でゆらゆらと撓う竹を掴んで、畝の反対側、通路との際に差し込んで固定していく。それを順番に何十回、何百回も繰り返す。土は十分に耕してあったが、地中にしっかりと差し込むのはやはり力仕事だった。

 こうしてようやく、トンネルの「骨組み」ができあがる。続いて保温材となる厚手のビニールシートをかけていく。

 ビニールシートの端っこは、20~30センチ長さの太めの木の杭に巻いて紐などでしっかり止めたうえで、畝の端に木槌で埋め込んで固定した。ビニールシートが風で飛んだりしては保温の役に立たないので、ここは重要なところだ。

 そのあと、ビニールシートを竹の骨組みの上に被せていく。反物状の重いビニールシートの両端を、二夫とミヨ子とで持って広げていくのだ。風があればビニールシートはめくれるし、なくてもだんだんずれたりするので、シートの両端のところどころに小さな重石を置きながら被せていった。

 ビニールシートの固定には、両端に細い杭を結んである幅広のビニール紐を使った。これもあらかじめ畝の片方にだいたいの必要本数を置いておく。畝の片側の、竹の支柱のまん中あたりに、紐がつながった杭を打ち込むのだ。そして、被せたビニールシートの上から紐を畝の反対側に渡して、もう片側の杭を打つ。杭は細めで扱いやすかったが、紐が外れたりしないようにするためには、やはりしっかり打ち込む必要があり、これも二夫の仕事になった。

 ミヨ子は打ち込む前の杭の位置を調整したり、片側を固定した紐を反対側に投げて二夫に渡して、二夫が作業しやすいように補佐する――鹿児島弁でいう「こどい*」――を務めた。

 竹の支柱はビニールシートの下に、固定用の紐はビニールシートの上にセットされた。その繰り返しでビニールシートが畝を覆いつくすと、最後に、最初の端のようにビニールシートの端を太めの木の杭に巻いて固定し、地面に埋め込む。これで畝ひとつ分のビニールシート張りが終わる。

 これで完成だが、他の畝も順番に、同じ作業を何十回も繰り返す。そうしてようやく、畑全体にトンネルがかかるのだった。

*補助や手伝いを指す。「六十八 こどい」で詳細を述べた。


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