文字を持たなかった昭和 百六十(冷たいおやつ――プリン)

 母ミヨ子が子育て真っ最中だった、昭和40年代前半に普及した冷蔵庫についての話が続いた(百五十八百五十九)。本来の「冷蔵庫を使って作ったおやつ」の話に戻ろう。

 冷蔵庫が「来て」から、食品を冷やすことは、保存期間を長くできる以外に、よりおいしくできることを、ミヨ子たちは経験とともに学んでいった。料理でいえば、お刺身を冷蔵庫に入れておけば痛まないだけでなく食べるときもおいしかったし、マヨネーズをかけて食べる生野菜も、冷やしておいた野菜を切って使えばさらにおいしく感じた。

 おやつに関して言えば、簡単なところでは、買ってきたアイスクリームの類を凍ったまま置いておけること。たまに、同じ集落に住むミヨ子の母のハツノが孫たちのためにアイスクリームを買って来てくれたとき、孫たちがまだ帰っていなくても、溶ける心配をしなくてすんだ。冷蔵庫がなければこうはいかない。

 一歩進んで(?)「冷やす」「凍らす」という機能を使って、冷たいおやつを作ることにも挑戦した。挑戦は大げさかもしれないが、少なくとも冷蔵庫が「来る」までは作ったことがないおやつだったことは間違いなく、農村育ちでそれほど料理上手とは言えないミヨ子にとっては、小さな挑戦だったはずだ。

 まず「冷やす」おやつ。

 冷蔵庫の普及と歩を合わせるように、テレビでは冷蔵庫を使って作るおやつが宣伝されるようになった。そのひとつがプリンである。売られているのは「プリンの素」と言える商品だった。

 代表的なのは「ハウスプリンミクス」だろう。というより、ミヨ子も子供の二三四も、ハウス以外の「プリン(の素)」は知らなかったし、いまも知らない。鹿児島の農村にも普及するくらいシェアがあったのか、たまたま他の「プリン(の素)」の販売網に入らなかったのか。

 「ハウスプリンミクス」は、カスタード味のプリン本体の部分と、カラメルソースに分かれていた。まず粉末のプリンをお湯で溶いて――だったと思う。牛乳を入れるともっとおいしいと、箱の説明に書いてあったような気もする――容器に入れる。次に、粉末のカラメルソースを規定の分量のお湯で溶いて、プリン液を入れた容器に静かに注ぐ。液体の密度が違うので(たぶん)カラメルソースはいったん混じってもじきに沈むのだ。

 そして容器を冷蔵庫に入れて規定の時間――1時間ぐらいだろうか――冷やす。冷えて固まったプリンをお皿にひっくり返すと、カラメルソースがかかったプリンができあがる、というわけだ。

 テレビのCMやパッケージの箱の写真にあるような台形のプリンを作れるよう、という意図だろう、プリン型も売られていた。製菓用品専門店などあるはずもない小さな町で、プリン型をどこで買ったのか、ミヨ子も二三四も思い出せない。温泉街のある隣町の、小さな百貨店だったかもしれない。

 アルミ製のプリン型はとても小さくて、できたプリンは何口かですぐに食べ終わった。二三四は、もっと大きなプリンを食べたい、といつも思っていて、自分で「ハウスプリン」を作ったとき、お茶碗に入れてみたことがある。しかし、なかなか固まらず、固まるのを待ちきれずにひっくり返したプリンは、皿の上ででろんと広がってしまい、おいしさは半分飛んでしまった。
 
《参考》「ハウスプリンミクス」は1964年発売。
ハウス食品 >会社の歩み  他を参照した。

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