文字を持たなかった昭和401 介護(20) 姑⑭入浴、続き

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 最近はミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書きいてきた。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった当時の状況()、舅・吉太郎(祖父)のお世話()に続き、姑・ハル(祖母)について。「徘徊」したり粗相したりから、やがてほとんど寝たままの状態になったが、ミヨ子は愚痴ることなくお世話を続けた

 介護サービスはおろか、介護用品なども市販されていない時代。清潔な体を保つにはお湯で絞ったタオルなどで拭いてあげるのがせいぜいで、家庭のお風呂に入れるのは一苦労だった。

 前項ではその様子について途中まで書いた。薪で炊くお風呂を沸かし、体を十分に洗ってあげたハルを、二夫(つぎお。父)、ミヨ子、二三四(わたし)の三人がかりで湯舟に入れた。その続きである。

「体をこすってあげなさい」
とミヨ子がいう。二三四は
「え? 風呂の中でこすったらお湯が汚れるんじゃ?」
と意見した。そういう理由で、湯舟の中でタオルを使うのはふだんご法度だったから。
「おばあちゃんが出たあと、お湯ははかすから、いいのよ」
とミヨ子。たしかに、このあと誰かが入ることはちょっと考えにくかった。

 タオルを湯船に浸してハルの腕や脚をこすってあげる。洗い場では落ちきっていない垢がふわっと浮き上がり、二三四は思わず顔をしかめたが、ハルは気持ちよさそうにしていた。

 10分ほども湯舟につかっていただろうか、「そろそろいいか」と二夫が言い、ハルを湯舟から引き上げた。再び、板が浮いてこないよう気をつけながら。

 体を拭いてあげて、洗いたての寝間着を着せてあげる。ドライヤーを使う習慣はまだなかったから、伸びた白髪はよく拭いてあげた。

 もちろんそのあとはまた布団に連れていったはずだが、二三四は覚えていない。が、ハルが出たあとの湯船に、綿埃のような垢がたくさん漂っていたこと、すぐさま水を抜いてていねいに湯舟を洗ったことははっきり覚えている。お風呂に入れるとき、ハルのやせてきた脚が松の皮のようにひび割れていたことも。

 ほとんど動けなくなってから半年近くの間、ハルをお風呂に入れてあげたのはこの1回きりだったと思う。いまの基準では「とんでもない」ことだろう。しかし、薪でお風呂を沸かし、数人がかりで体を洗い湯舟に入れてあげる一連の作業は、少なくとも二三四の感想では「1回でこりごり」だった。 近所に、60代くらいのおばさんと寝たきりのおばあさんが二人暮らしのお宅があったが、別の建屋にある五右衛門ぶろにおばあさんを入れているとは思えなかった。ほかのお宅でも「せいぜい体を拭くだけ」のケースは多かったはずだ。

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