最近のミヨ子さん(地元のことば)

  昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。前項(通話の中断)では、直近のビデオ通話の際、ネット回線の具合が悪いという話題に対して思いがけずとてもタイムリーな反応があって驚いたことを述べた。しかし実際はなかなか大変なのだ、ということも。

 ビデオ通話の最初に、わたしはいつもミヨ子さんが着ているものをチェックする。季節相応か、だらしなくないか、など。ちょうど列島全体で気温が下がったときでもあり、室内でもキルティングのジャケットを着ていて安心した。

 一方ミヨ子さんは、スマホに映ったわたしを見て「いい着物を着てるね」と言う。着物? 今日着ているのは、いつ買ったのか忘れるほど前から着ているオレンジ色のトレーナーだ。いちおうミッキーマウスがプリントされている。
「着物じゃないよ。それにふだん着だし」
最初襟元から上だけ映っていた自分から少しスマホを遠ざけて、胸ぐらいから見えるようにする。
「ほら」と映してから気がついた。トレーナーの下には黄色のTシャツを着ていて、襟ぐりから見えている。それが同系色でまとめた着物と衿のように見えたのだろう。と考えると、ミヨ子さんの眼力もなかなか捨てたものではない。

 話題を変えて「昨夜は豆ご飯を炊いたんだよ」と振ってみる。食べ物の話題にはわりとついてくるのに「豆ご飯」に反応しない。それでは、と鹿児島弁で
「昨夜はな、豆ん飯ょ 炊てみたとぉ(ゆべはな、まめんめしょ ててみたとぉ)」(豆ご飯を炊いてみたんだよ)
と言い直してみた。すると即座に
「えーぇ、豆ん飯ょね(まめんめしょね)」(へー、豆ご飯をね)
と返ってきた。やはり地のことばには反応しやすいのかもしれない。

 思えば、ミヨ子さんのいまの住まいである兄家族の家は「一応」がつく鹿児島市内にある。一応というのは平成の大合併で周辺郡部から鹿児島市に吸収合併されたからだ。義姉はもともと鹿児島市内育ちで、兄やわたしたちが育った農村部とはことばがだいぶ違う。イントネーションは変わらず基本的な言い方も共通しているが、はしょりかたや使っている単語が標準語的なのだ。

 そんな言語環境にあって、義姉がどんなに気を配ってくれていても、ミヨ子さんには話し言葉がしっくりこない部分があるのだろうと思う。まして、頭の中がどんどん「若返り」、昔のことほどはっきり思い出せる状態になってきたとあればなおさら。そう考えれば、ミヨ子さんを兄の家に置いておくよりは、郷里の老人ホームの、入居者どうし地元のことばで語り合える環境に置いてあげたほうがよいのではないかとも思う。

 でも地方にいくほど老人ホームの入居は空き待ちが多くなる。ほんとうに切ない。

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