最近のミヨ子さん Xデー前日 ②女心、補足

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 前項では、ミヨ子さんの施設入所の前日にビデオ通話した際、髪の毛をしきりに気にしていたことを述べた。「分け目が作れない」と訴えていたことも。

 前項で述べたとおり、ミヨ子さんは昔から、あまり長くしていない髪を横分けにして、耳の上の髪は耳にかけ、前髪は下がってこないようヘアピンなどで留めるスタイルが「定番」だった。そういえば、近所のお母さん、おばさんたちもこのスタイルが多かったことを思い出した。

 もっと言えば、ある年齢に達した女性は、髪が長目ならうしろでまとめ、もっと長ければお団子を作り、髪が短めならミヨ子さんと同じようなスタイルにするのがほとんどだった。

 一方で、女の子たちはまず「おかっぱ」だった。マンガのサザエさんの妹ワカメちゃんのような。お稚児さんのように前髪を下し、横は耳の下あたりで切りそろえ、そのままうしろまでいく。床屋さんで散髪すれば、襟足はカミソリで剃られるものだった。

 のちに(昭和40年代だろうか)「カット」と呼ばれるもっと短い切り方――いまでいうショートカット――が子供たちの間で流布するようになると、既婚者でも徐々にカットを選ぶ人が出てきて「あら、いまはやりだね」などと言われたものだ。

 つまり、短くて前髪を下すスタイルは「子供の髪型」で、ある年齢になると一定の長さを保ち、かつ額を出す、というのが昭和中期までの(地方の)女性の一般的なヘアスタイルだったのだと思う。わたし自身、前髪を下している既婚者――近所のおかあさんやおばさん――を見たとき、「大人なのに変なの」と感じたことを思い出した。大人の女性でも「前髪のある」人はいたが、長めにして横に流すスタイルが多かった。

 そんなことを思い出していて考えたのは、日本髪との関係だ。和装がふだん着だった頃、一定の年齢になった女性は髪を「上げて」結ったり髷を作ったりしたことだろう。いまでこそ日本髪でも前髪を下すのはふつうだが、昭和の前半くらいまでは、髪を上げるときは額も出したものだ。

 ときどき大正期や昭和前半を舞台にしたテレビドラマなどで、和服なのに前髪や鬢の毛を下した既婚者の役どころを目にするが、そのときの違和感の「正体」はこれだったのか、とも思う。

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