最近のミヨ子さん Xデー前日 ①女心

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いてもいる。本項はそのひとつ(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の物語に移っているが、しばしミヨ子さんの話に戻る)。

 前回の「最近のミヨ子さん」(Xデー)では、この頃とみに脚力が衰えたミヨ子さんが、ついに施設に入ることになり、その日(Xデー)は思いがけず早く来ることになった、と述べた。

 いよいよ明日は入所という某日。わたしはいつものように、ミヨ子さんと同居してお世話をしてくれているお嫁さん(義姉)のスマホからビデオ通話をさせてもらった。こんなふうに事前に時間を調整して通話させてもらうのも、今回が最後――かもしれない。少なくとも自宅にいるミヨ子さんと話すのは。

 ミヨ子さんはデイサービスから帰った直後で、お嫁さんは前もって「準備ができたらかける」と言ってくれていたが、予想よりだいぶ待たされた。ようやくお嫁さんのスマホから着信があって、ビデオ通話が始まった。「玄関からが遠いのよ」とまずお嫁さん。脚がおぼつかないので、家に入ってから落ち着くまで時間がかかるのだ。脚が弱るとはそういうことなんだなぁ、と再認識するとともに、玄関でミヨ子さんを出迎え椅子に座らせるまでのお嫁さんの苦労を思う。

 画面に現れたのは、気持ちお出かけ用の服に白髪のミヨ子さん。娘と話していることはわかっている。「こんにちは」のあと、ミヨ子さんは画面に映る自分の姿が気になるようす。しきりに髪を触りながら「こんなにまっ白になって」と繰り返す。

 「もう94歳なんだから、白くて当たり前でしょ」と振ると、「94歳? 誰が? あんた?」。

 昭和のマンガなら吹き出しに大きく「ぎゃふん!」と入るところである。あまりの飛躍に半ば呆れつつ、「わたしが94歳なら、お母さんは120歳超えてるよ!」と返したあと、「でもお母さんなら120歳まで生きるかもね」と、半ばまじめに補足した。

 ミヨ子さんはそのあとも、自分側のスマホの自分の姿を気にしている。わたしの画面では自分の顔は小さくしか映っていないが、あちらのスマホでは上下2分割に映る設定なのかもしれない。そして、娘よりも自分の顔の方をしきりに気にする――どれだけ自意識が高いんだ?

 ミヨ子さん曰く「分け目が決まらなくて…分けてもすぐに戻ってくるのよ」。「分け目?」とわたし。「髪の毛の分け目のこと!」と少し強くミヨ子さんが返す。

 思い当たるのはふたつ。ひとつは、昼間のデイサービスで髪の毛を洗ってもらったから、髪がサラサラで分け目が作りにくいということ。

 もうひとつ。兄一家と同居するようになってからミヨ子さんの髪の毛はお嫁さんが切っている。それもかなり短く。分け目もなにも、分けられるだけの長さの髪の毛は、じつはないのだ。

 しかし思い返せば、これまで――兄たちと同居するまで――ミヨ子さんの髪の毛は、全体としては長くなかったが、横分けにしてから額の上でヘアピンや「かっちん留め」と呼んでいた平たい髪留めで留めていた。老年に差し掛かってから自転車で転び、右手が少し不自由になったためヘアピンの扱いが難しくなったが、それでも髪を分けるスタイルは変わっていなかった。

 ミヨ子さんの中で、髪の毛とは分けるものなのだろう。

 じつはショートカットのミヨ子さんを見るとき、わたしはいつも切ない。お世話する側にしてみれば短いほうが洗いやすく乾かしやすい。80歳を超えやがて90歳を超えた本人も、ヘアスタイルは気にしているようには見えない。でもほんとうは「女心」は消えていないのだ――ろう。

 いつかほんとうのXデーが来て、ミヨ子さんはこの世界から旅立っていく。そのときには、髪の毛を分けた、ミヨ子さんが「好きな髪型の自分」の写真で送ってあげたい。とは、娘のささやかな願いである。

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