文字を持たなかった昭和 二百七十四(手作りの乾物―干しキクラゲ)
昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。冬場に作る乾物として、桜島大根を干してかんぴょう状にした「ぐいぐいみっ(ぐるぐる剥き)」、手のような形にダイコンを切って干した「サルの手」、ニンジンを同様に切って干した「赤いサルの手」、干しニンジンについて書いた。
ほかに自家製の乾物はなかったか考えていて思い出した。
わが家の保存食品作りのリーダーであったハル(祖母)は、干しキクラゲも作っていた。それも、老木(かなにか)からキクラゲを取ってくるところから。二三四(わたし)が覚えているのは、収穫したキクラゲ――多いとはいえない量ではあったが――を、ハルが筵(むしろ)に広げている光景、そして乾燥し縮んで軽くなったキクラゲをハルが集めて新聞紙に包み、茶缶に入れる場面だ。
キクラゲは戻して料理に使ったはずだが、キクラゲを入れた料理を思い出せない。そもそも栽培していたわけではなく、たまたま裏の林の老木に生えていたものを取ってきただけなので、むしろここぞという時に使っていたかもしれない。
ハルの場合、そうやってやりくりする才覚は抜きんでており、その分嫁のミヨ子にも厳しかったことを思い出す。
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