文字を持たなかった昭和 二百七十一(手作りの乾物―サルの手)

 昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。冬場に作る保存食品としての乾物のひとつ、桜島大根を干してかんぴょう状にした「ぐいぐいみっ(ぐるぐる剥き)」その食べ方について書いた。

 次は「サルの手」。ミヨ子たちは鹿児島弁で「サイの手」*と呼んでいたが、この場合の「サイ」は「サル」であることは明らかだった。なぜならその形状がサル(やヒト)の手に似ていたから。そもそもサイ(犀)の手(足?)がどんな形か、当時地域の住民はほとんど知らなかった。

 「サルの手」はダイコンで作る。「ぐいぐいみっ」同様桜島大根だったか普通のダイコンか少し自信がないが、細長い形状を考えれば普通のダイコンの可能性が高い。普通のダイコンという前提で作り方を書けば以下のような感じだ。

①ダイコンを15~20センチ長さに切る。
②皮を剥いてから、1センチくらいの厚さに縦に切る。太いダイコンの場合、縦半分に割ってから同じように切る。
③上部3センチくらいを残して、2センチ間隔ほどに縦の切り込みを入れる。
④切り込みを入れなかった部分は、中央に菜箸などで穴を開ける。
⑤④の穴に藁(のちには細いビニール紐)を通し輪っかを作る。
⑥⑤を竹竿などに吊り下げて乾燥させる。早く乾燥させるため直射日光に当てることもある。
――ざっとこんなところだろうか。

 切り込みを入れた部分が5~6本に分かれ、ちょうど指のように見えるので「サルの手」と呼んだのだと思う。「ぐいぐいみっ」より厚いため、乾燥には時間がかかった(はずだ)。切り込みを入れるのは乾燥しやすくなるように、という意図だろう。

 乾物だから、使うときはもちろん水で戻す。戻したら「手」の形状のまま調理するのではなく、指に当たる部分は切り離してから適当な長さに切り、掌に当たる部分も拍子木切りなどにしてから使った。調理と言っても、「ぐいぐいみっ」同様まず煮物である。身が厚い分食べ応えがあるし、ミヨ子たち主婦にとっては、生のダイコンと違って煮崩れないのもありがたかった。

 が、二三四(わたし)たち子供にとっては、ダイコンはやはりダイコンで、とりたてて「おいしい!」と思える食材ではなかった。しかしそれを口に出せば、保存食品作りの先頭に立っていたハル(祖母)に叱られただろう。もちろんそんなことを言うはずもなく、一人分ずつ皿に盛られた煮物の、好きな食材と交互に食べて片づけた。
  
*鹿児島弁:「サイの」のように「」を高く強めに発音する。

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