文字を持たなかった明治―吉太郎3 明治13(1880)年

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、前々項からはタイトルを「文字を持たなかった明治―吉太郎」と改めミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について書き始めた

 吉太郎は明治13(1880)年2月13日年生れ。これが戸籍上の記載であることや、出生などの届出はいまで考えられないほど大雑把だったことは前項で述べたとおり。

 とはいえ、吉太郎のほんとうの生年月日は不詳なので――あるいは戸籍記載通りかもしれない――、いちおう明治13年生れという前提で話を進めるとして。

 徳川幕府が大政奉還しご一新が成ってからそれほど経っていない明治13年頃とは、どんな時代だったのか。歴史があまり得意でない孫娘の二三四(わたし)としては、勉強を兼ねて少しばかり調べてみることにする。

 同年の目を引くできごとには以下のようなものがある(発生順)。
・外国郵便為替創設
・内務省に駅逓官を設け、前島密が駅逓総官に任用される
・国会請願運動を拘束し、民心動揺を防ぐため「集会条例」を定める  
・井上外務卿、条約改正案を米・清以外の各国公使に交付
・刑法、治罪法制定
・小笠原諸島、東京府に編入
・「君が代」完成
・改正教育令公布

 この1年だけでも日本が「近代」に向けた歩みを加速しつつあったことが伝わってくる。ちなみに廃刀令は明治9(1876)年、西南戦争は明治10(1877)年。吉太郎が生まれるほんの少し前まで武士という階級が目に見える形で残っており、世の中は混乱していたことが窺える。

 というか、体制と制度の変更で大混乱が起きる一方で、吉太郎の家族のような田舎のお百姓さんたちの生活には、それほど大きな変化はなかったのかもしれない。取り立てられるのが年貢から税金へと名前と方法が変わった程度で。

 やや下って明治22(1889)年に大日本帝国憲法が発布、明治27(1894)年には日清戦争が勃発と、日本の近代の歩みはさらに強く、ある意味厳しくなっていく。

 参考までにこの頃に生まれた方はと見ると、吉田茂、有島武郎(明治11年生れ)、 大正天皇、永井荷風(明治12年生れ)などが主だったところだろうか。吉太郎と同じ明治13年生れには 市川左団次(二世)がいる。いずれもまごうことなき「歴史上の人物」で、二三四には祖父が遠い存在に思えてもくる。

 しかし、吉太郎が残したもの――遺伝子はもちろん、苦労して買い集めた田畑や山林、家屋敷など――はそのまま孫の世代に引き継がれたのだから、吉太郎の一生はどこかの歴史の1ページなどではなく、そっくりいまにつながっているのだ。

《主な参考》
Weblio辞書>明治13年にあった出来事や活躍した人物
坂の上の雲ロジー>明治時代年表>1880年(明治13年)の出来事

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