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文字を持たなかった昭和521 遺跡調査(3)郷土資料館の展示

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 しばらくは老境に入ってからのミヨ子について思いつくままに述べてみることにして、遺跡調査について書き始めた。地元で発見された遺跡の発掘作業に、ミヨ子がほんの一時期だが携わったこと、ミヨ子は遺跡や歴史に興味を持ってはおらず、娘の二三四(わたし)もほぼ同じだったことを述べた。

 二三四が遺跡発掘を思い出したのは、たまたま訪れた地元の郷土資料館で、思いがけない展示に出会ったことだ。

「これ、お母さんじゃないっけ?」
そこには、地元で近年発見された遺跡に関する展示で、遺跡の説明とともに発掘作業の現場写真が展示されていた。ミヨ子が「先生」と呼んでいたそのままの、学者然としたネクタイ姿の男性――田舎ではちょっと見かけない知的な雰囲気だ――の周りを作業着姿の男性たちが取り囲んでいる。彼らの前方ではまさに発掘作業が行われている際中だ。かがんで作業しているのは数人の女性で、手袋をはめエプロンや割烹着を着けている。

 その一人の上着やモンペに見覚えがあるのだ。日本手ぬぐいを姉さん被りにしているので顔は見えないが、俯きかたの加減や体形もミヨ子に似ている。
「お母さんはここで遺跡を掘っていたのか…」

 展示の説明には、遺跡の発見は平成5(1993)年度、発掘は平成9(1997)年度に行われた、とあった。ミヨ子の夫・二夫(つぎお。父)が始めたハウスキュウリが失敗したためこしらえた借金を返済すべく、二夫は土木作業に出て、ミヨ子は留守を守りながら「小菜園(こざえん)*」をしていた頃だ。

 調査は「緊急」に行われたらしいから、作業にすぐ来られそうな人を募集したのかもしれない。ミヨ子は昼間発掘作業に出て、畑仕事は発掘が休みの日や、朝とか夕方にやっていたのだろう。

*鹿児島弁。まさしく小菜園(こさいえん)からの転訛で家庭菜園の意。
 ミヨ子は庭先などでのちょっとした畑仕事を「こざえんを すっ」(小菜園をする)とよく言っていた。「畑も、前は ふとしちょったどん、いまは こざえんばっかいじゃ」(畑も、以前は大きく=大規模にしていたけれど、いまは小菜園程度だ)と自嘲気味に言うこともあったし、「畑ちゅうひこはなかどん、こざえんでんしちょけば 食もいかたには足っでね」(畑というほどではないけど、小菜園でもやっておけば、食べるぶんには足りるからね)と言うこともあった。

《参考》
【公式】鹿児島弁ネット辞典(鹿児島弁辞典) >こざえん


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