文字を持たなかった昭和520 遺跡調査(2)遺跡への興味

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 しばらくは老境に入ってからのミヨ子について思いつくままに書いてみることにして、前項では、地元で発見された遺跡の調査に伴う発掘作業にほんの一時期だが携わったことを述べた。そのこと自体、娘の二三四(わたし)はすっかり忘れていたことも。

 朝から夕方まで小さなスコップや刷毛などを手に、遺跡の土を少しずつ掘って、遺物が出たら傷つけないように土を丁寧に払う。自分で何か判断する必要はなく、決められた区画の決められた場所で、決められた工程どおりに作業すればよい。

 二三四としては、そんな楽な(?)パートが長期間できればいいのに、と思ったがそうは問屋が卸さなかったらしい。遺跡発掘のパートは数カ月で終わった。

 遺跡そのものに対してミヨ子自身がどう感じているかは聞きそびれた。大昔の人が住んでいた跡が見つかり、使っていた食器なども出てきた、という程度の認識だったかもしれないが、ほんとうのところはわからない。遺跡や古代の歴史に興味があったとも思えないが、作業しているうちに興味がわいたかもしれないのに、掘り下げて聞く気が二三四になかったのだ。

 二三四自身、地元の地層からそんなものが発見されたことにもちろん驚き、うれしくもあったが、考古学や古代の歴史に当時それほど興味が深くなかったこともあり、郷土史に詳しい人に聞いてみようという気も起きず、ミヨ子が発掘作業に携わったこともいつの間にか忘れていた。

 遺跡発掘を偶然二三四が思い出したのは、noteにミヨ子たちについて書き始めたことと関係がある。ミヨ子について書くようになってから、いずれ親族まで遡って調べなければ、という思いがずっとあったため、二三四は昨年冬の帰省の際に、取得しうる限りの戸籍謄本を役場で申請して入手した。

 その際に、地元の歴史についても調べられないかと、郷里に住んでいた頃はまったく行ったことのない図書館にも行った。二三四自身年齢を重ねたせいか、ここ10年ちょっとの間に歴史への興味が深まってきたのだ。よくあるように、加齢とともに自分のルーツに興味を持つようになった面もあるだろう。二三四の名誉(?)のために付け加えると、町立図書館(市町村合併によりいまは市立図書館の分館という扱いだ)があった町の中心部は、ミヨ子や二三四たちが暮らす集落はもちろん、学校からも離れていた。つまり生活圏内になかったのだ。

 その日の歴史についての「調査」は不調に終わった。地元の歴史を俯瞰できるような図書はほとんどなく、昔語りを口述筆記したようなものや、私的な記録が多かった。それも、隣の市との合併によりもともと馴染みのない地域のものがけっこう含まれていた。

 図書館の2階は郷土資料館になっていた。地方でときどき見かける、昔の生活用品や農具、漁具などを陳列したものだろうと、それほど期待せず階段を上がって展示物を順に見ていったところ、ある場所で足が止まった。

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