文字を持たなかった昭和519 遺跡調査(1)発掘作業

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 ミヨ子の病歴や体調の変化などをテーマにした「酷使してきた体」がひと区切りついたので、しばらくは老境に入ってからのミヨ子について思いつくままに書いてみたい。

 まずは遺跡調査。

 この調査が行われた頃、娘の二三四(わたし)はとうに実家住まいではなかったので、ある時期、帰省したときにミヨ子から
「遺跡調査の手伝いに行っている」
と聞かされ度肝を抜かれた。なんでも、なにかの建設用地から遺跡が見つかったため工事は中断、遺跡の発掘が始まったという。発掘作業はていねいに進める必要があり、作業要員として地元の主婦などが臨時に募集され、ミヨ子もそれに加わっている――と、かいつまんで言えばそういう話だった。

 場所を聞くと、高校まで地元にいた二三四にはあまりなじみのない地域だった。比較的規模の大きい建設予定地だから、すでに住宅や建物が建っているところではなく、ひらたくいうと「山の中」だから当たり前かもしれなかった。

 そこにミヨ子たちのようなパート――時間単位で働くわけではないのでほんとうは「パートタイマー」ではないが便宜上こう呼ぶ――として近隣の農家の主婦が集められ、遺跡を「掘る」のだという。もちろん力の要る掘削作業は重機を使ったりして男性が行うとして、ある段階からは専門家が遺跡の構造を調べながら慎重に掘り進めていく。場合によっては当時使用していた生活用品などの遺物が出土する可能性もある。その遺物を取り出したりする細かい作業を女性たちが行うのだ。

「どんな道具を使うの」と二三四。
「出てくるものを傷つけないように、筆なんかを使うんだよ」とミヨ子。
「ほら、庭の水道のところに洗ってあるでしょう」と言われて見に行くと、小さなスコップや刷毛、筆などが洗って置かれていた。

「傷をつけたり壊したりするといけないから、移植小手を使うときは先生の指示に従うんだよ」
とも言った。「移植小手」はスコップのことだ。小ぶりとはいえいきなり金属製の器具を土に差し込んだりしたら、なるほど、遺物を傷つけかねない。「先生」とは専門の調査員か監督役のことだろう。

 現場へはマイクロバスで送迎されると聞いたように思う。パートさんたちを(おそらく)遠い順から拾って乗せ、朝の始業時間までに届ける。帰りはその逆だ。

「日当も出るんだよね」
二三四が興味半分で確認すると、返ってきた答えは当時の賃金相場に見合ったちゃんとした金額だった。まあ当然であろう。県だか町(ちょう)だかわからないが、自治体の仕事なのだろうから。

 ともかく、そんな体面がよく実入りもまずまずのパートがあってよかった、と二三四はうれしかった。

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