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精神疾患の母との12年|#0 自己紹介

※2022年4月15日に公開した記事を加筆・訂正しています。更新2024.6

■自己紹介

はじめまして
桜井みよ、と申します。

現在26歳です。理学療法士として働いています。
休職や転職を経ながら、何とか社会人4年目を迎えました。

私は子ども時代(幼稚園年中~高校2年生頃)、うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害を患う母と暮らしていた経験があります。

大人になった今は、精神疾患の親をもつ子どもの会「こどもぴあ」の運営に関わらせて頂いたり、過去の経験をこうしてnoteに綴ったり、講演会等に出させて頂きながら、「ヤングケアラー」や「家族ケア」について発信する活動をしています。


■簡単な生い立ち

⑴5歳の時、豹変した母

【母の症状の経過】

私の家族は父・母・妹・私の4人家族でした。
前述したように、私の母は、うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害を患っていました。
父曰く、発症時期は母が大学生の頃だったらしいです。
そんな母の症状が悪化したのは、私が5歳(幼稚園年中)の時でした。

そこから、生活は一変していきました。

母が悲観的になれば、寄り添って慰めたり
母が自傷行為をすれば、手当てしたり
母が泣き喚いて暴れれば、力ずくでおさつけたり
母が自殺未遂をして、救急車を呼ぶこともありました。

母がどんなことをしても、私とって母は「大好きなお母さん」でした。
私は「早く元の元気なお母さんに戻ってほしい」…ただそれだけの思いで母の対応にあたっていました。
当時は母も、自分で状況をなんとかしようと努力していたように思います。

しかし、母の症状はなかなか安定せず、精神病棟に入退院を繰り返しました。

⑵母にやられるか、こちらがやるか、という戦場のような日々

私が中学校にあがる頃には、「もう死なせてよぉぉぉx!」と泣き叫びながら包丁で自殺未遂を図ろうとしたり、「今すぐ◎◎して!!そうじゃないと私、今すぐ死ぬから」と自ら病気を盾して要求を通そうとすることもありました。あまりに自分勝手な母に憎みが募りました。

また、無理心中を図られたり、取っ組み合いになったり、激高した母に蹴られたりすることもあり「いつか、母に殺されるかもしれない」命の危険を感じていました。
この頃になると、母はどれが本当の母なのかわからないほど、めちゃくちゃな状態になっていました。

⑶両親の離婚・母との絶縁

そんな状況に耐えかねた父が母に離婚を切り出しましたのは私が高校1年生の時だったと思います。
このころの母は、父や父側の味方についた私に攻撃的な言葉を浴びせたり、陰湿な嫌がらせをするようになっていました。

今まで母を支えてきた身として、「なぜそんなことができる?」「人の心を失ったのか?」と信じられない思いでした。
そんな母を諭そうとすると、母から人格否定の言葉を浴びせられ、徹底的に無視されました。

正直な所、母に憎しみが募り、あの世に送ってしまおうと思ったことが何度もありました。
こう思ってしまうほど、毎日が極限状態でした。

そして高校2年生の時、母とのつながりに限界を感じた私は、母と縁を切る選択をしました。
その後、両親も調停を経て離婚しています。

⑷母と絶縁してからが本当の苦しみだった

その後、「よし!気持ちを切り替えて、自分の人生を歩んでいこう!」

という訳にはいきませんでした。

母に関する出来事がフラッシュバックしたり、
母に殺される悪夢をみて、泣きながら飛び起きたりすることもありました。
ケアが終わった後も、母に自分の人生を支配されているような感覚でした。

また、対人関係でも苦悩がありました。

幼少期から母の顔色を窺って気持ちを察し、先回りして行動する生活だったせいか、大学や職場でも常に相手の顔色を窺い、知らず知らずのうちに相手に合わせて行動するのが癖づいていたり、
極度の人間不信で、人に頼るという発想がなく、全て自分一人で抱え込んで自滅することがよくありました。

その問題が表面化したのが、私が社会人になった時でした。
仕事上の器量の悪さも相まって、私はうつ病・適応障害になってしまい、休職してしまいました。

未来に希望がもてず、途方にくれていました。
なんだかずっと過去に支配されているような感覚を味わっていました。

⑸「ヤングケアラー」「精神疾患の親をもつ子ども」という言葉との出会い

そんな中、私はある言葉と出会いました。
「ヤングケアラー」という言葉です。

この言葉に出会うまで、「こんな経験したのは自分だけ」「親を殺そうと思うまで憎んだ私の気持ちは絶対誰にもわからない」と思っていました。
しかし、この言葉を通じて「同じ経験をした人たちが他にもいること」「自分のことをわかってくれる人がいること」を知ることができました。

そして、他にもいろんな人達と出会って今に至ります。

■noteを書いてみようと思った理由

私がこのnoteを書いてみようと思った理由は、自分の過去と感情の整理の為が1番大きな理由です。
一度、頭から過去の出来事を出して、過去の自分と今の自分と分離したいと思いました。
そうすることが自分の回復の一歩になると思ったからです。

ありのままを書いてます。一部、閲覧注意にしています。
もしかしたら表現によって不快な思いをされる方がいるかもしれません。

好き勝手に書いている私の経験談ですが、この経験談を通じて「精神疾患の親をもつ子ども」の存在を知って頂いたり、誰かの人生の回復のきっかけになれたらとても嬉しいです。

精神疾患の母との12年(5-17歳)|桜井みよ@精神疾患の母をもつ子どもでした|note




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