桜井みよ@精神疾患の母をもつ子どもでした

■近畿に住む25歳|■精神疾患の親をもつ子どもの会・こどもぴあ大阪運営メンバー|■母が…

桜井みよ@精神疾患の母をもつ子どもでした

■近畿に住む25歳|■精神疾患の親をもつ子どもの会・こどもぴあ大阪運営メンバー|■母がうつ病・統合失調症・境界性パーソナリティ障害でした|■高校2年生の時に母と絶縁・両親離婚|Twitterやってます @miyo_yade

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大好きな母から毒親と憎むまで~精神疾患の母との12年~|#0 自己紹介

■自己紹介はじめまして 桜井みよ、と申します。 現在25歳です。理学療法士として働いています。 休職や転職を経ながら、何とか社会人4年目を迎えました。 子ども時代は5歳~17歳(幼稚園年中~高校2年生)まで、うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害を患う母と暮らしていました。 23歳の時に「ヤングケアラー」という言葉を偶然見たテレビで知り、そこで初めて自分以外にも「精神疾患の親をもつ子ども」だった人たちがあることを知りました。 ずっと、こんな経験をしたのは自分だけ

    • 【自分の人生を歩むために】絶縁し所在不明の母親に対して住民票の閲覧制限をかけてみた

      ■住民基本台帳事務における支援措置この制度は、児童虐待やDV、ストーカー行為を受けた人が、加害者に自分の住所を探索されないようにするために住民票や戸籍の閲覧を制限する制度です。 なかなか情報が少ない、支援措置の手続き。 今回は、私が支援措置を受けた際の一連の流れについて、書いてみようと思います。 (2023年9月から手続きをはじめ、10月に受理されました) ■支援措置をうけるまで1.入籍を機に支援措置を受けることを決意 私は子供時代に母親から精神的虐待を受けていました。

      • ヤングケアラーのその後③|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

        ■休職するまでの経緯1|診断後も働き続けた【11月】 人を頼るという概念がなかった私は、自分がしんどいことも、病院にいったことも、診断を受けたことも一切に人に話すことはありませんでした。 上司にも、先輩にも、同期にも、友人にも。もちろん父にもです。特に父には心配をかけると思い、絶対に言わないと決意していました。 自分一人で「まだいける。大丈夫だ」と身体のSOSを無視して、診断が出た後も私は働き続けました。当然、症状はますますひどくなっていきました。 特に朝のしんどさは

        • 母は精神疾患でした【詳細版】⑥|毒親と思い憎んだ母と縁を切った高校生時代

          ■高校生時代②前回(高校生時代①)の続きです。 最初は話し合いで離婚調整をしようといていましたが、母の逆上で破談となり、調停の方針になりました。 この頃になると、母は別居先だった実家を出て、一人暮らしを始めていました。 しかし日中に、父・私・妹が住む家に合鍵で勝手に入ってきては、父以外(私・妹・自分)の分だけ夕食を作り、父が帰ってきても、父に人格を否定するような内容の置手紙を残していったり、父の存在だけ徹底的に無視するという嫌がらせを休日以外、毎日している状況でした。

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        • 精神疾患の母との12年(5-17歳)
          7本

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          母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を殺そうと思った中学生時代

          ■母への憎悪が限界突破した出来事※閲覧注意 最近思い出した記憶です。 その日は、母の様子がいつもに増しておかしい日でした。 家の中を歩き回っているなーと思いきや、リビングに立ち尽くして無言で一点を見つめていたり、何かごそごそ怪しい動きをしていたり・・ とにかく行動がおかしかったのです。 私は母の様子を観察しました。 なにやら、キッチンにある棚のあたりをしきりに気にしていました。 私は、母が棚から離れた隙に、その棚の中を確認しました。 中には、精神薬が大量にストックして

          母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を殺そうと思った中学生時代

          母は精神疾患でした【詳細版】③|暴走する母と暮らした中学生時代

          ■中学生時代について私が中学時代はの母は、病気の症状では説明がつかないほど、めちゃくちゃな状態でした。 というのも、私が小学校の頃の母は、苦しみながらも、病気と向き合い必死に治そうと自分でも努力していたのですが、私が中学生になると、自分に都合の悪いことがおきると、「だって私病気だから」と自ら病気のせいにしたり、相手の嫌がることをしてまで、何が何でも自分の要求を突き通そうとするようになったのです。 特に、お金に関しての執着は強く、入院中にも関わらず、私達の目を盗んでは散財を

          母は精神疾患でした【詳細版】③|暴走する母と暮らした中学生時代

          ヤングケアラーのその後➃|休職中、初めて出会った「ヤングケアラー」ではない「本当の自分」

          ■人生で初めての「何もしない時間」休職期間中は、主治医に「今は何もしなくていいです。もうひたすら休んでください。休むことが仕事です」と言われていました。 そう言われると、学生時代からいつも何かに追われてゆっくり休んだことがなかったかもしれない‥と思い、職場の方々への罪悪感もありましたが、思いきって自分の好きなことをして過ごすことにしました。 ただ、当時の私は、体力・気力共に0に近く、正常な日常生活を取り戻さなければならない段階だったので、まず3食食べることや決まった時間

          ヤングケアラーのその後➃|休職中、初めて出会った「ヤングケアラー」ではない「本当の自分」

          ヤングケアラーのその後②|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          はじめましての方も、ご覧頂きありがとうございます。 私は現在24歳で、5歳~17歳頃まで精神疾患の母(うつ病・統合失調症・境界性パーソナリティー障害)のケアを経験した元ヤングケアラーです。 今回は表題の通り、新卒1年目に適応障害・うつ病と診断され、最終的に休職してしまった経験について書こうと思います。 (※医療機関により診断名が異なっていたため、どちらも書いてます) 「ケア終了後の苦悩」としてこれを書いていますが、こうなった原因はヤングケアラーの経験だけでなく、もちろん

          ヤングケアラーのその後②|生きづらさ・トラウマとの戦い【社会人編】

          ヤングケアラーのその後①|生きづらさ・トラウマとの戦い【大学時代】

          ■母のケアが終了してから5歳の頃から始まった母(精神疾患)のケア生活は、両親の離婚と私と母の絶縁により終わりを迎えました。 私が高校生、17歳の時でした。 「もう終わったんだ」「やっとあの母親から解放された」と一区切りついたような気持ちはあまりなく、ケア終了後も日々が淡々と過ぎていったような気がします。 今振り返れば、ケア終了後も食事、洗濯等の家事をする私の役割は変わっておらず、「ケアが終わった」と日常の中で実感することがなかったからかもしれません。 そんな日々を過ごすう

          ヤングケアラーのその後①|生きづらさ・トラウマとの戦い【大学時代】

          母は精神疾患でした【詳細版】⑤|母に精神的虐待を受けた高校生時代

          ■高校生時代母の言動や行動に振り回され、私達家族は心身共に極限状態でした。 もはや、母は「病気のせい」という言葉では片づけられないほど、中学時代よりもっとひどい状態に陥っていきました。 今振り返ると、私が高校生だった頃の母は、境界性パーソナリティー障害の要素が強かったのではないかと思います(当時はパーソナリティ障害かもわかりませんでした。今となっては推測にすぎません) そう考える理由は、以下の境界性パーソナリティー障害の診断基準にピッタリと当時の母が当てはまるからです。

          母は精神疾患でした【詳細版】⑤|母に精神的虐待を受けた高校生時代

          母は精神疾患でした【詳細版】②|症状の経過に一喜一憂した小学校高学年時代

          ■小学校高学年~中学生時代について幼稚園の頃から入院していた母親は、私が高学年にあがっても症状が安定することはなく、精神病棟への入退院を繰り返していました。 記憶に蓋をしているのか、ぼやっとしてしている部分もありますが、小学校高学年の出来事について書いてみようと思います。 ■休日は見舞いが習慣に私が小学校高学年にあがる頃、母は、精神病棟に入院していることがほとんどでした。 そのため母親が家にいた記憶はあまりありません。 土日になると、車で片道50分かけて母親の見舞いに行

          母は精神疾患でした【詳細版】②|症状の経過に一喜一憂した小学校高学年時代

          母は精神疾患でした【詳細版】①|母の異変を感じた幼稚園~小学校低学年時代

          ■はじめに​お読みください■幼稚園~小学校低学年時代について 私の出生前から精神疾患を患っていた母。 私が生まれてからも、軽いうつ症状のようなものは出ていたようです。 しかし、私は幼かったためか、そのことに全く気がつきませんでした。 そんな母の症状が悪化したのが私が5歳の時でした。 この時初めて、私は母の症状を目の当たりにしました。 母が病気なんだとわかった時の悲しさ、優しかった母親が全く別人の様に変わってしまったというショック、寂しさ、辛さ‥‥。 いろんなマイナスの感

          母は精神疾患でした【詳細版】①|母の異変を感じた幼稚園~小学校低学年時代