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【自分さがしvol.5】劣等感の中に「得意」をみつける

おそらく、子どもの頃からだったと思う、劣等感に悩まされていたのは…。

どんくさくってスポーツは苦手。特にチームプレイ競技は、迷惑かけるだけとわかってるから、やりたくなかった。

「のろまー」

と、女の子からよく言われて、笑われて た。

遊びの中で身に付けていくはずの「協調性」が身に付かなかったのか、運動が不得意なせいか…「マイペース」と言われることの方が圧倒的に多かった。
家に帰れば、要領が悪い、女の子なのに気が利かない…褒められることなんて、そうない。

そんな自分でも、表現の場があった。
ピアノ伴奏を頼まれれば、学年、時に全校生徒の唄と響き合わせることに充実感があったし、文化祭や体育祭では、自分の絵だけでなく、グラウンドの入退場門制作が美術部の仕事で、誇りに思ってた。
けれど、何かしらの賞をとれば、今度は妬みなのか、悪口、陰口が増える。

何かと私を、「自分より下」に置いておきたい人たちだって思えるようになったのは、割と最近のこと。それまでは、「何をやっても否定される」と、とにかく自己否定感が強かった。

さて…劣等感の中に「得意」をみつける。
私が子どもの頃から悩み続けた、他人との比較から生まれる劣等感の中に、ずっと考え続けてきたことが、1つある。

「どうしたら、役に立てるんだろう」
「どうしたら、喜んでもらえるんだろう」

 例えばスポーツでは、チームの役に立ちたいから、できない自分が嫌だった。でも、ドッジボールで直ぐにボールを当てられて外野に出たら、ボール拾いと、強い子に回すことを自分の役割にした。
例えば絵で賞をとったり、何か目立つと悪口が増える経験から、目立つことが嫌だった。でも、陰の仕事、教室の時間割作り、文化祭のポスター作り、委員会の仕事、社会に出てからは「ショムニ」みたいな大量の雑用…人の嫌がる仕事は、断ることをせずに、引き受け続けてきた。

役に立てること、「ありがとう」が嬉しくて、自分がそれをやりたいかどうかより、要求されたら何でもやるようになっていった。

その内、「何でも屋」になり、搾取とも言えるような都合のいい使われ方が増えていった。

 「○○で役に立ちたい」

この「○○」がなかったことに気が付いて、「何でも屋」ではいけないと思うようになった。

「○○」に入ることば。
これが一番難しい。変わってもいいと思いなが、自分の「得意」を改めて探す。

「試行錯誤を続けること」
「学び続けること(現在、大学3つ目)」
「マイペース」

マイペースに学び続け、試行錯誤した結果、マイナスな状況、苦境、自分の窮地を助けてきたもの。
いつの間にか、積み上がった力。
それが、「得意」なもの。

一朝一夕では見えてこない、生きてみないと分からないことの方が多い。「得意」は始めから得意なことではないかもしれない。劣等感を持ったところから、自分を持ち上げるときにいつも使ってる「力」は、何かある。
それが結果、自分の「得意」になるんだろうと思う。


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