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「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第十話

亜矢子と会ってから四ヶ月後、吾朗は会社内の喫煙ルームで、ビジネス雑誌を見ながら満足そうに煙草を取り出して火を点けた。視線の先にある誌面には、亜矢子の写真とともに『インハウス・アプリが会社を変える』というタイトルで掲載されたWAPの取材記事があった。すでに、大手メーカー数社が導入し、社内の活性化と業績の向上がみられたことから、IT業界でも注目のベンチャー企業として有名なビジネス雑誌の取材を申し込まれたのだと、先日、亜矢子から通信アプリで連絡があった。

「よかったな」

吾朗は、喫煙ルームで目を細めながら、そうつぶやいた。

吾朗が初めて表参道のシェアオフィスを訪れた後、亜矢子は、わずか一ヶ月でバージョンアップ・モデルとなるプロトタイプを完成させたのである。その後、吾朗は、通信アプリを使って亜矢子と連絡をとりながら、まさに二人三脚で修正を繰り返し、今の完成形へと作り上げたのだった。そして、ビジネスモデル特許の取得など、関連する著作権保護にも万全を尽くし、満を持して新作アプリをビジネス市場に送り出したのである。

(例の記事、読んだよ。おめでとう。これから、忙しくなるぞ~)

通信アプリで吾朗は、そんなメッセージを亜矢子へ送信した。

(ありがとう。ところで、今晩、時間ある?)

早速、亜矢子が返信を送ってきたのだった。

(大丈夫だけど。何時で、どこがいい?)

(午後七時に、新井薬師前駅で。以前に、フレンパが話してたスナックに行ってみたい)

ふたりが、アプリ開発のコミュニケーションを始めた頃、「綾島さん」と呼ぶのが面倒になったと言い出した亜矢子は、「フレンパ」というニックネームを考え出し、吾朗のことを、いつもそう呼ぶようになっていた。それは、フレンドとパパをミックスした造語である。そして、吾朗もまた、亜矢子へ丁寧語を使うことなく、フレンドリーな言葉で会話をしていたのだった。

「カノンに行きたいのか・・・、ふっ」

吾朗は、亜矢子からのメッセージを読みながら、口元を緩めた。

(了解)

最後のメッセージ送信が終わると、吾朗は、喫煙ルームのドアを開け、いつもと何ら変わらない窓際族の日々へと戻っていった。

吹き抜ける秋風に少しずつ寒さを感じ始めた、午後七時の新井薬師前駅。

駅の改札口を出た吾朗は、家路を急ぐ人々で溢れた駅前広場に広がる、いつもの見なれた風景を少し背中を丸めながら眺めていた。

「お待たせ。寒くなったね」

吾朗が寒そうに背を丸める姿を見ていたのか、亜矢子がそう言いながら近づいてきた。

「おう。ところで、雑誌の取材記事。おめでとう、よかったな」

「ありがとう」

そう言う亜矢子を見ながら吾朗は、自分たちが親子のイメージからは、ほど遠い、ドライでもありウェットでもある独自の関係が出来つつあるような気がしていた。

「亜矢子ちゃん、お腹空いてる?先に何か食べてからでもいいけど」

すでにフレンドリーな会話をしていた吾朗だが、ごく最近は亜矢子のことを自然な口調で『亜矢子ちゃん』と呼ぶようになっていた。

「ううん、大丈夫。早い時間のほうが、他にお客さんいないでしょ。そのほうが、ゆっくり飲めるしね」

そんな亜矢子の言い草は、まるで自分が言うセリフのようだと、吾朗は心の中で嬉しさの中にも、若干複雑さも混ざった感覚を抱いていた。

「じゃ、行こうか」

そして、ふたりは、駅前広場とは反対側にあるビルの入口へと歩いた。

「カラ~ン、コロ~ン」

吾朗がドアを開けると、佳乃子は、いつものようにカウンターの中で、キープボトルの整理をしていた。

「あら、いらっしゃい。まぁ、今日は若いお嬢さんと一緒?」

佳乃子が、吾朗の後ろから店に入った亜矢子を見ながら、そう言った。

「ああ、最近よく一緒に仕事をする機会があって、優秀な社外のビジネスパートナーみたいな人だよ」

いつものカウンター席に亜矢子と並んで座った吾朗だが、十和子や亜矢子のことについては、まだ誰にも話してはいなかった。もちろん吾朗の家族、そして佳乃子にも。

「初めまして、若山亜矢子といいます。今日は、フレンパ・・・、いえ、綾島さんから、よく聞かされていたカノンさんに、是非おじゃましたいと思いまして」

「フレンパ?」

佳乃子の言葉に吾朗は、亜矢子は自分を父親のように慕ってくれているから、そういうニックネームで呼ばれていることを話した。

「そうなんです。友だち以上父親未満ということで・・・」

笑いながら、そう話す亜矢子の声は若干うわずっているようにも聞こえる。

「ふ~ん。でも、おふたりさんを見てると、何だか、お顔が似てるわね。まあ、美男、美女だから、似てるのも頷けるけど」

佳乃子の鋭い直感に、吾朗と亜矢子は、内心ビクビクしながらも笑いながらお互いの顔を見合わせた。

「亜矢子さんも、水割りでいいのかしら?」

佳乃子は、水割りのグラスを吾朗の正面に置きながら聞いた。

「はい、お願いします」

「じゃあ、今日は亜矢子さんのために、おつまみ多めにしようかな~」

佳乃子はそう言うと、追加の水割りを作り、それを亜矢子の前に置いた後、カウンターの奥へと入っていった。

「さすが、銀座にいらした経験が長いだけに、人を見る眼が鋭いわね」

「でしょ?それと・・・、今まで、いろんな悩みを聞いてくれてね、生きる支えになってくれたから、窓際族でも、なんとか会社を辞めずに頑張ってこれたんだと思う。ママには感謝してるよ」

そう言って吾朗は、水割りを口に含んだ。

「生みの母親、家の奥さん、夜のママ。男には三人のママがいるって、よく言われるけど、本当にそうなのね。ただ・・・、フレンパには四人目のママもいるけど」

亜矢子が最後のフレーズを小声でささやくように言うと、吾朗は、「ぷっ」と、口に含んだ水割りを噴き出しそうになった。

「あら、何だか秘密のお話し?すごく、楽しそうだけど」

そう言いながらカウンターの奥から出てきたスナック・カノンのオーナーママである佳乃子は、おつまみにと、冷や奴、きんぴらごぼう、そしてポテトサラダの三品を、それぞれ、ふたりの前に並べた。

「わぁ~、美味しそう。早速いただきます」

「どうぞ、召し上がって。おかわりも、ご遠慮なく」

嬉しそうな笑顔を見せている亜矢子がいることで、佳乃子も今日はめずらしくツンとした表情は、まだ見せていない。

「美味しい。これぞ、おふくろの味って感じがする」

亜矢子の言葉に、佳乃子と吾朗は目を合わせながら、微笑んだ。

「亜矢子ちゃんは、日本生まれのカナダ育ちだけど、日本の味は大好きみたいだね」

何気なくそう言った吾朗の言葉に佳乃子は敏感に反応し、笑った顔を少しこわばらせると、吾朗のほうへ視線を向けた。カラオケボックスの騒動を連想したのか驚くほど勘のいい佳乃子に、吾朗は目を合わせながら思わず頷いたのだった。きっと佳乃子は、吾朗が泣かせてしまったという女性社員が亜矢子であることに気づいたに違いない。

「そうだ。亜矢子さん、何か歌わない?」

佳乃子が、吾朗との間に漂う空気感を変えるように敢えて明るい声色で、おつまみを美味しそうに頬張る亜矢子に話しかけた。

「そうですね~、じゃあ・・・」

亜矢子は、そう言いながらカラオケのリモコンを操作し始めた。そして、流れてきた曲は、イフ・ウイ・ホールド・オン・トゥゲザという、ダイアナ・ロスの歌だった。

「これって・・・」

「そう、あの古いポータブルカセットに入ってた曲よ。お母さんが、いつもカセットを鳴らして聴いてるから、全部覚えちゃった」

曲のイントロを聴きながら亜矢子が吾朗に言った。そして、初めて聴く亜矢子の歌声に目を細めながら、吾朗はポケットから煙草を取り出し、火を点けた。二十八年前の情景が吾朗の脳裏に蘇ってくる。

「綾島くんに似て、歌がお上手ね」

カウンター越しに佳乃子が、吾朗へ意味ありげにささやいた。

「勘のいいママにはバレちゃったかな。まあ、いつか話すよ」

吾朗は、亜矢子の歌声と曲の音に自分の声を紛れ込ませて、小声で佳乃子へ伝えた。

「歌ってくれて、ありがとう。昔を思い出したよ」

吾朗が、恥ずかしそうに首を縮めながらマイクを置く亜矢子に言った。

「その昔って、私が生まれる前の話ね」

亜矢子は、隣でさりげなく頷く吾朗に、何かを思いついたように続けて話し始めた。

「そうだ、お母さんから聞いたけど、帝国通運のシニア人材活用プロジェクト、まだゴールが見えていない状況なんでしょ?」

「まあね。セミファイナルとして会議に諮った三案も、まだブラッシュアップの途中だし、それ以外にも、新たなビジネス案をできるだけ多く出すように指示があってね。上層部は、いったい何を考えているのやら」

「その件、ここだけの話なんだけど・・・」

亜矢子は、そう言うと、コンサルタントとして関わっている十和子からの情報という前置きで、プロジェクトが今後の展開として想定するシナリオは、できるだけ新規ビジネス案を多く考え出し、それらをインハウス・アプリを使って全国の支店や事業部にチョイスさせる方針だと話した。

「それって・・・、もしかすると」

「その、もしかするとなの。私たちの作ったアプリが帝国通運に導入される予定なのよ。それを前提に、新規プロジェクトを思いつかない支店も多いだろうから、事前に多種多様な案を提示して、チョイスさせるってことよ」

「なるほど、裏ではそんな話しが進んでいたのか・・・。WAPのアプリを導入すれば、結果的にシニア人材活用にもなる」

「その通り。さすが、次長をしていただけのことは、あるわね」

「亜矢子ちゃんって、そんな辛口キャラだった?まるでママみたいだよ」

笑いながら、そう言った吾朗は、カウンターの内側にある流し台で洗い物をしている佳乃子を見た。

「えっ?いま何か言った?」

佳乃子は、まるで何も聞いていなかったように、とぼけた声で言った。

「ひょっとして、綾島くん。いよいよ脱出計画が現実化してきたのかな~」

「いっ、いや、何でもないよ」

佳乃子の鋭い返答に、うろたえる吾朗の表情を見ながら、隣に座った亜矢子は楽しそうに微笑んでいる。

「じゃあ、今度はフレンパの番よ」

そして亜矢子は、マイクを吾朗の前に置いた。

「じゃあ、いつもの・・・、あの歌にしようかな」

吾朗がそう言った後に亜矢子が発したひと言を、吾朗は一生忘れることはないだろうと思った。

「もう、途中で泣いて部屋を出たりしないから、安心して歌って」

少し俯き加減に頷いた吾朗は、小さく「ありがとう」と、つぶやいた。

そして、すべてを察した佳乃子がリモコンを操作すると、モニターの画面には、吾朗の十八番の歌である「毎天愛你多一些」の文字が現れていた。

そして、もう一度「ありがとう」と繰り返す吾朗の視線の先には、霞んで見える佳乃子と亜矢子の姿があった。



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