見出し画像

「龍神さまの言うとおり。」第二話

私立青雲高等学校の保護者会。
教壇に立つ男性教諭の話しによると、PTA役員は、ひとクラスあたり合計五人選出する必要があるとのことであった。そして、五人それぞれに独自の役割が設けられているらしい。

「PTAの役員にも、いろいろありまして、その中でも半年に一回発行するPTA季刊誌の編集員はリモートでの作業が可能ですから、お仕事に影響なく活動できると思いますよ。また、男性の保護者様にご参加いただけると、組織としては非常に引き締まりますので、是非お願いします」

苦笑いをしながらも洋介は、もう一人この場に来ている男性の保護者と視線を合わせた。

「では、お二人のうち、どちらかの方に編集員をお願いできませんでしょうか?何なら、ジャンケンで決めても・・・」

そんな男性教諭の声に賛同するかの如く、教室内には再び女性たちの拍手が湧き起こっている。

「では、ジャンケンしますか?」

洋介の席から、となり一列離れて座っている別の男性保護者が仕方なさそうに、そう言いながら席を立った。無言で頷いた洋介も、仕方なく立ち上がると、もう一人の男性の方を向いてジャンケンをしたのだった。

『えっ、負け?』

洋介は、思わず自分が出したチョキの指を見つめた。相手はグーを出している。茫然とした様子の洋介とは反対に、その男性は勝利の嬉しさを隠しきれないようで、マスク越しに目は笑っている。

「三河さん!おめでとうございます。では、これから来年の三月まで編集員をお願いします。それと、今年の四月から今日まで、学校からの指名で臨時的に編集員をしていただいた佐倉さんには、この後、三河さんへの引き継ぎをお願いします」

男性教諭はそう言うと、残るPTA役員四名を、前任者を除外した上で、あみだくじによる選出で決めたいと話し始めていた。

『佐倉さんだって?もしかして、さっきから視線を感じる、あの女性か?』

男性教諭が続けている話しを聞きながら、洋介は心の中でつぶやいた。そして次の瞬間、洋介は初めて斜め後ろへ顔を向け、佐倉という女性の顔を正面から見たのだった。

軽く会釈をした洋介に対して、その女性は目元をほころばせながら嬉しそうに頷き返した。そして彼女は、おもむろに髪をアップに止めていたヘアーピンを外すと、肩まで伸びた栗色の髪を手櫛で整えたのである。

『まさか・・・』

その仕草に見覚えがあった洋介の脳裏には、かつて二十六年前の高校時代に付き合っていた北山恭子の姿が、ぼんやりと蘇っていた。

そして彼女は、顔に付けていたピンクのマスクを外すと、微笑みながら洋介を見つめた。その大きな瞳と気品のある顔立ちは間違いなく、あの高校時代の恭子である。

「やはり・・・」

思わず洋介は、そうつぶやいて、自分もマスクを外した。

『こんな偶然が、あっていいのか・・・』

まるで時間が止まったかのように二人は、お互いを見つめ合っていた。そして同時に洋介は、無意識に頭の中を二十六年前の高校時代へとタイムスリップさせていたのだった。

二十六年前。
北は瀬戸内海に面し、西は宇和海を挟んで九州と向かい合う地形の愛媛県・八幡浜市。この場所は、山の緑と海の青さが美しい港町である。また、入り江に沿った山の斜面で広がるみかん畑は、そんな港町を見下ろすように棚状で連なっている。そして、市内の中心地にあるフェリー埠頭から車で五分ほど東へ走ったところに、県内でも有数の進学校である県立八幡浜高等学校はあった。

洋介と恭子は、それぞれ別の中学校を卒業した後、この県立八幡浜高等学校へ入学した。しかし、お互いの存在を知ったのは、高校二年で同じクラスになってからである。その年の夏休み、進学校ならではの補習授業が始まると、生徒の多くは、九月初旬に開催される体育祭の準備をするため、授業後は教室や体育館に集まり、小道具や衣装、そして大型パネルなどの製作をすることが平日の日課となっていた。

洋介は生徒会で体育祭の実行委員をしていたことから、授業後は、その運営会議や雑務をするため生徒会室にいることが多かった。一方、恭子は自分のクラスメイト達と共に、体育祭の演目のひとつであるダンスタイムで使用する衣装を教室の中で作っていた。

午後五時頃になると、ほとんどの生徒は自分の役割りを終えて帰宅するのが通常であった。洋介も、生徒会室での会議や雑務を終え、帰宅前に通学カパンを取りに戻ろうと教室のドアを開いた。すると、誰もいない教室に、ただひとり自席に座っている恭子の姿を見つけたのだった。

以前から恭子の視線を、それとなく感じていた洋介ではあったが、洋介もまた、恭子のことは気になる存在として密かに好意を抱いていた。

「あれっ、まだいたの?」

誰もいない教室内には二人しかいない。この状況に、洋介は内心ドキドキしながらも、敢えて平静を装いながら声をかけた。すると恭子は、はにかんだように頷いた後、ゆっくりと座っていた席を離れ、洋介のほうへ近づいて来たのである。

「あの・・・、これ読んでくれる、かな?」

二人しかいない放課後の教室で恭子は、そう言いながら赤いハートのシールで封緘したピンク色の封筒を差し出した。それを手にした洋介は、これは自分あてのラブレターだと直感で思った。なぜなら、以前から洋介は、事あるごとに、恭子の視線を感じていたからである。

「あっ、あぁ・・・、ありがとう」

そんな洋介の返事に、恭子は嬉しそうな笑みを浮かべると、「それじゃ」とだけ言って、急ぎ足で放課後の教室を後にしたのだった。それは、わずか数秒の会話だったが、その情景や高揚感は今でも鮮明な記憶として洋介の脳裏に焼き付いている。

そしていま、私立青雲高等学校の保護者会が開かれている教室の中で、洋介は後方に座っている恭子を見つめながら、いつの間にか心を高校時代へタイムスリップさせていた。愛媛県の八幡浜高校時代に二人で過ごした時間が、ひとつひとつと鮮やかに蘇ってくる。

「え~、では・・・」

F組の教室に響く男性教諭の声で、洋介は、はっと我に返った。

「あみだくじで選ばれた新しい役員の方々は、この後、しばらくこの場に残っていただいて、旧役員の方々との引き継ぎをお願い致します。それ以外の皆様は、お帰りいただいて結構です。今日はお忙しい中、お集まりいただきまして、どうもありがとうございました」

男性教諭の言葉で、周りに座っていた保護者たちは一斉に席を立って、足早に教室の出口へと向かった。そして静かになった教室内では、居残る新旧のPTA役員十名が、引き継ぎのために挨拶を交わし始めている。そんな中、洋介と恭子は、まだ元の席に座ったままで、お互いを見つめ合っていた。

「あの~、編集員のお二人も、ご挨拶されて引き継ぎを・・・」

男性教諭に促され、最初に席を立ったのは恭子だった。昔と全く変わらないスマートなシルエットの恭子が、しなやかに机の間を縫いながら、洋介の方へと近づいてきた。

「三河くん・・・だよね」

青のワンピースによく似合う、濃紺色のショルダーバッグを肩に掛けた恭子は、洋介の前に立ち止まると、少し訝るような目をしながらも、懐かしそうに声を発した。そんな恭子の顔を眩しそうに見上げて、洋介が答える。

「うん。北山さん・・・だよね」

「そうよ。もう、おばさんになっちゃったけど」

恭子は、そう言いながら口元に手をあてて微笑むと、洋介が座る隣の席に、ゆっくりと座った。

「こんな偶然、あるもんなんだね。一瞬、心臓が飛び出るか、いや、止まるかと思ったよ」

「私もよ。あの頃の三河くんって、朝のホームルームに間に合わなくて、よく遅刻して来たでしょ。あの時の教室へ入ってくる姿と、『失礼しま~す』の言い方が、まったく変わってなかったから、もしかしてって・・・、最初から思ってたの」

「マジか。それじゃ、全然変わってないって・・・、いや、進化してないってことか」

洋介は、高校時代の口調になって、笑いながらそう言うと、次の瞬間、真顔になって、微笑んでいる恭子を見つめながら聞いた。

「あれから、すいぶん経つけど・・・、元気してた?」

この時、恭子は一瞬曇った表情をしたが、すぐに作り笑顔で、元気に過ごしてきたことを伝えた。

「ほんとに?」

そう言う洋介は、先ほどの恭子の表情と発した言葉に疑念を抱いた。というのも、二人が付き合い始めて以降、なぜか洋介は恭子の行動や心理を敏感に察することができたからである。

「やっぱり、三河くんに嘘はつけないみたいね。昔みたいに・・・」

恭子は、そう言うと、高校を卒業してから今日までの経緯、さらには夫との関係について話し始めた。

第二話 おわり


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?