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「龍神さまの言うとおり。」第三話

二十六年ぶりに再会した高校時代の同級生である恭子は、隣の机に座る洋介を見つめながら、落ち着いた表情で、これまでの過去を話し始めた。

愛媛県八幡浜市の中学校から高校にかけて合唱部に所属し、オペラのソプラノ歌手になるべく日々練習を重ねていた恭子であったが、都内の音楽大学に進学した後は、他の学生たちが持つ恵まれた声量や音域を目の当たりにしたことで、オペラ歌手としての才能に限界を感じ、声楽家への夢をあきらめる決心をしたのだった。そして、音大卒業後は一般企業に就職した。

就職先は、誰もが知っている大手証券会社である。この会社では、新入社員に対して、最初の二年間は東京都内の支店で新規顧客を開拓する営業活動に専念する方針となっていたため、当時の恭子は、日々の多くを電話営業に費やしていた。

入社二年目のある日、恭子は、いつも通りに会社のデータベースを元にした電話営業をしていたところ、ある東京都議会議員の自宅へ電話をすることとなった。折しも、その時期は東京都議会議員選挙の数カ月前ということもあり、恭子が電話をした際に自分の名前を告げたところ、ウグイス嬢として選挙運動を手伝ってくれれば、大口の新規口座を開設するという交換条件を提示されたのだった。というのも、その立候補者は、かねてから当選運を引き寄せるウグイス嬢として、恭子が業界で有名人となっていることを知っていたからである。

かつて恭子は、音楽大学に在籍していた頃、声を使ったアルバイトとして、選挙運動では絶対に欠かせない、選挙カーのウグイス嬢をしていた。そして不思議なことに、これまで恭子が担当した立候補者は、すべて見事にトップ当選をしていたのである。そんなことから、恭子は、運を引き寄せるウグイス嬢という、いい意味での噂が、業界内で広がっていた。

そういった事情を、上司を通じて支店長に伝えると、二つ返事で承認されたことから、その後の数か月間、恭子は会社業務として選挙カーのウグイス嬢をすることになったのである。そして迎えた都議会議員選挙の結果、その立候補者は見事にトップ当選をしたのだった。さらに、恭子の持つ運の強さを改めて目の当たりにした立候補者は、恭子を長男の嫁にしたいと申し出だのである。

当時、入社後の二年間だけとはいえ、電話営業に飽きていた恭子は早々に証券会社を寿退社したいと思っていた。そんな状況から、特段深く考えることもなく恭子は、その都議会議員から申し入れを受けた数ヵ月後、都内の一般企業に勤務する長男と、お見合い結婚をしたのだった。

結婚後、一年間ほどは主婦をしながら、義父の後援会事務所で経理関係の伝票処理など、パート勤務を続けてきた恭子であったが、やがて、ひとり息子が誕生した頃、実は夫が無類の女好きであることを、後援会関係者からの話で知ることになる。しかし、そんな噂にも動揺することなく、パートを休止して育児に専念する恭子であったが、それと時期を同じくして夫は都内の一般企業を退職し、都議会議員である父親の秘書として働き始めたのだった。

やがて息子が小学校に入ってからは、ほぼ毎晩のように後援会絡みの会食スケジュールを入れ始めた夫であったが、その帰宅時間は、次第に午前零時をまわることが多くなっていった。しかも最近になって、夫が後援会事務所でアルバイトをしている若手の女性事務員と、男女の関係を持っているという噂を、これもまた後援会関係者から耳にしたのだった。

そして、今日参加している保護者会の一週間前、夫は一方的に離婚届に署名捺印するよう、弁護士を通じて恭子へ求めてきたのである。高校生のひとり息子については、夫側が養育権を持つことも含めて。

洋介は、そんな恭子の身の上話しを頷きながら聞いた。

「もう、どうしたらいいか・・・」

俯き加減に感情を吐露した恭子は、物憂げな目で洋介を見つめた。

「あの~、そろそろ、引き継ぎ終了ということで、よろしいでしょうか?」

そう告げた男性教諭の声で、洋介と恭子は咄嗟に周囲を見回した。既に一年F組の教室内には、男性教諭を含めた三人だけしか残っていない状況であった。

「すみませんでした。ちょっと、長くなってしまって・・・」

洋介が頭を掻きながら言うと、恭子に視線を向けて頷き、立ち上がるように目で合図した。

二人が教室を出た後、校舎の階段を下りる途中、どこから響くのかグリークラブと思われる学生たちが、パート毎に分かれて発声の練習をしている美しい男子学生の歌声が聞こえた。

二人が校舎の外に出ると、グリークラブの歌声は、よりクリアに聞こえてきた。そして伸びのある、さまざまな音域の声が、あちらこちらから響きわたっていたのだった。

「男子校だけど、合唱の声を聞くと放課後の雰囲気とか昔のことを思い出すんじゃない?」

洋介が、校庭を並んで歩く恭子に言った。

「そうね。あの頃の三河くんは、放課後いつも生徒会やら、所属してた生物部の巨大水槽作りやらで、遅くまで忙しくしてたわね」

「まあ、成り行きでね」

「一緒に帰りたいと言っても、ほとんど無理だったし」

「そんなことないよ。最低でも週に二、三回は一緒に帰ったじゃん」

「私は、毎日一緒に帰りたかったの!」

恭子は、ふてくされるように、くちびるをとがらせた。

「そのアヒル口、昔と全然変わってないね」

「そう?もしかしたら・・・、私も、ぜ~んぜん進化してないのかな、あの頃から、ずっと」

ため息を吐き出すように言った恭子を見ながら、洋介はふと思った。

「あのさ、今のご主人と、そんな風に子供っぽく会話したことある?」
 
「ん~、そうね~」

恭子はそう言った後、不意を突かれたような顔をして立ち止まった。

「あれっ?この曲・・・」

恭子は、そう言って目を閉じた。

グリークラブが、パート毎の発声練習を終えて合唱を始めたらしく、重厚なハーモニーが校舎を反響板にして校庭全体に響いている。

「どうかしたの?」

歌声が響く中、周辺を見まわしながら洋介が聞いた。

「私が大好きな曲、ユー・レイズ・ミー・アップよ」

そう言った恭子は、ショルダーバッグを地面に置いた後、目を閉じて深く息を吸った。そして、グリークラブの合唱に溶け込むようにソプラノパートを歌い始めたのである。

安定感と伸びのあるソプラノに気づいたグリークラブのメンバーたちが、ハーモニーを響かせながら校舎や渡り廊下の窓際に立って、校庭で歌う恭子を見つめている。

やがて、荘厳な終盤のメロディーが、大音量で周囲を包みながら遠くまで響き渡っていった。

いつの間にか近隣の住民たちが、この歌声に引き寄せられるように集まり始め、校門から校庭の中を覗き込んでいる。そして、最後のフレーズを歌い終わった時には大きな拍手が湧き起こったのだった。

満足げに微笑んだ恭子は、両手を大きく振りながら窓際に立つグリークラブの学生達へ、セッションに対する感謝を伝えた。さらに、校門前に集まった近隣の住民たちには、何度も深くお辞儀をして、一人一人に感謝のアイコンタクトをしたのだった。

住民の拍手が鳴り終わったところで、恭子は洋介と目を合わせると、地面に置いていたショルダーバッグを肩にかけて、ゆっくりと歩き始めた。そして洋介は、恭子とともに軽く会釈をしながら、近隣の住民たちが集まった校門から正面の路地を地下鉄の駅へと向かった。

何気なく洋介が背後を振り返ると、先ほどの住民たちは、名残を惜しむように二人の後ろ姿を見送り続けている。それに気づいた恭子は、改めて軽くお辞儀をすると、洋介もつられるように軽く頭を下げた。ちょうどその時である。辺りの景色が急に暗くなりはじめ、遠雷も響いたことから、二人は揃って空を見上げた。

「あっ、あれって・・・」

恭子が、何かを見つけたように言った。

「何か見えるの?」

「うん、二十六年ぶりよ」

数秒間、二人はただ黙って空を見上げた。

「まさか、龍神さま・・・」

「そう」

「オレには見えないけど、何か意味があるんだろうね」

「たぶん、今日こうして、私を三河くんに逢わせるために出てきたのかも。さっき私が歌ったユー・レイズ・ミー・アップという曲には、『あなたが支えてくれるから私は強くなれる』って意味があるのよ」

恭子は、空を見上げたまま、そう話した。

「あなたって?」

「私にとっての救世主、かな?」

恭子は立ち止まり、はにかむように洋介を見つめた。

「そっ、それにしても・・・、二十六年経ったいま、どうしてまた龍神さまが現れたのかな?」

そして、照れた顔を悟られないように洋介は、さらに別の話しを始めた。

「あのさ、さっき言いかけた話しだけど・・・」

「夫の前でも、子供っぽく振舞っていたかってこと?」

「そう。子供っぽい自分って、誰もが無意識に隠しているんじゃないかな」

「どういうこと?」

そう言った恭子の視線は、歩きながらも、ずっと洋介に向けられている。

「立派な自分という仮面を付けて、演技をしているってことかも」

「いい妻を演じていたってこと?」

「僕たちって、いわゆる就職氷河期世代でしょ?いい大学やいい会社に入るため、そして女性なら、いい奥さんになるために、自分を無理やり変えてきたのかもしれないな」

「確かにね。でもね、そういう三河くんはどうなの?いい夫を演じて、奥さんとラブラブなの?」

「オレ?まっ、まぁ、会社で知り合った女性と成り行きで・・・」

「ふ~ん」

そう言った恭子は、そんな洋介を冷たくあしらうように歩調を早めた。

洋介は、そんな恭子の後ろ姿を見ながら、妻である恵子との馴れ初めについて思い返していた。

「確かにオレも・・・、結婚を決めた時は、それなりの歳だったし、周りを意識するあまり、仮面を被って安易な結婚をしたのかもしれない」

洋介は心の中で、そんな思いに駆られていると、急な通り雨が一気に路面を濡らし始めたのだった。

「やばい、早く地下鉄の入り口に行こう」

そして洋介は、咄嗟に恭子の背中に軽く手を回し、二人は足早にスコールの中を駆けていった。


第三話 おわり


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