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龍神さまの言うとおり。(第5話)

二十六年ぶりに再会した高校時代の同級生である恭子は、隣の机に座る洋介を見つめながら、落ち着いた表情で、これまでの過去を話し始めた。

愛媛県八幡浜市の中学校から高校にかけて合唱部に所属し、オペラのソプラノ歌手になるべく日々練習を重ねていた恭子であったが、都内の音楽大学に進学した後は、他の学生たちが持つ恵まれた声量や音域を目の当たりにしたことで、オペラ歌手としての才能に限界を感じ、声楽家への夢をあきらめる決心をしたのだった。そして、音大卒業後は一般企業に就職した。

就職先は、誰もが知っている大手証券会社である。この会社では、新入社員に対して、最初の二年間は東京都内の支店で新規顧客を開拓する営業活動に専念する方針となっていたため、当時の恭子は、日々の多くを電話営業に費やしていた。

入社二年目のある日、恭子は、いつも通りに会社のデータベースを元にした電話営業をしていたところ、ある東京都議会議員の自宅へ電話をすることとなった。折しも、その時期は東京都議会議員選挙の数カ月前ということもあり、恭子が電話をした際に自分の名前を告げたところ、ウグイス嬢として選挙運動を手伝ってくれれば、大口の新規口座を開設するという交換条件を提示されたのだった。というのも、その立候補者は、かねてから当選運を引き寄せるウグイス嬢として、恭子が業界で有名人となっていることを知っていたからである。

かつて恭子は、音楽大学に在籍していた頃、声を使ったアルバイトとして、選挙運動では絶対に欠かせない、選挙カーのウグイス嬢をしていた。そして不思議なことに、これまで恭子が担当した立候補者は、すべて見事にトップ当選をしていたのである。そんなことから、恭子は、運を引き寄せるウグイス嬢という、いい意味での噂が、業界内で広がっていた。

そういった事情を、上司を通じて支店長に伝えると、二つ返事で承認されたことから、その後の数か月間、恭子は会社業務として選挙カーのウグイス嬢をすることになったのである。そして迎えた都議会議員選挙の結果、その立候補者は見事にトップ当選をしたのだった。さらに、恭子の持つ運の強さを改めて目の当たりにした立候補者は、恭子を長男の嫁にしたいと申し出だのである。

当時、入社後の二年間だけとはいえ、電話営業に飽きていた恭子は早々に証券会社を寿退社したいと思っていた。そんな状況から、特段深く考えることもなく恭子は、その都議会議員から申し入れを受けた数ヵ月後、都内の一般企業に勤務する長男と、お見合い結婚をしたのだった。

結婚後、一年間ほどは主婦をしながら、義父の後援会事務所で経理関係の伝票処理など、パート勤務を続けてきた恭子であったが、やがて、ひとり息子が誕生した頃、実は夫が無類の女好きであることを、後援会関係者からの話で知ることになる。しかし、そんな噂にも動揺することなく、パートを休止して育児に専念する恭子であったが、それと時期を同じくして夫は都内の一般企業を退職し、都議会議員である父親の秘書として働き始めたのだった。

やがて息子が小学校に入ってからは、ほぼ毎晩のように後援会絡みの会食スケジュールを入れ始めた夫であったが、その帰宅時間は、次第に午前零時をまわることが多くなっていった。しかも最近になって、夫が後援会事務所でアルバイトをしている若手の女性事務員と、男女の関係を持っているという噂を、これもまた後援会関係者から耳にしたのだった。

そして、ちょうど一週間前、夫は一方的に離婚届に署名捺印するよう、弁護士を通じて恭子へ求めてきたのである。高校生のひとり息子については、夫側が養育権を持つことも含めて。

保護者会の教室で洋介は、そんな恭子の身の上話しを頷きながら聞いた。

「もう、どうしたらいいか・・・」

俯き加減に感情を吐露した恭子は、物憂げな目で洋介を見つめた。

「あの~、そろそろ、引き継ぎ終了ということで、よろしいでしょうか?」

そう告げた男性教諭の声に、洋介と恭子は、はっとした表情で周囲を見回した。既に一年F組の教室内には、三人だけしか残っていない状況である。

「すみませんでした。ちょっと、長くなってしまって・・・」

洋介が頭を掻きながら言うと、恭子に視線を向けて頷き、立ち上がるように目で合図した。

二人が教室を出た後、校舎の階段を下りる途中、どこから響くのかグリークラブと思われる学生たちが、パート毎に分かれて発声の練習をしている美しい歌声が聞こえた。

第6話へ続く。


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