【#この街がすき】ナゴヤ本を出版して、ナゴヤを好きになれただろうか?【ナゴヤ愛】
新型コロナウィルスの猛威にさらされた2020年。そんな中で紆余曲折ありながらも無事出版できた『ナゴヤ愛』。こんな本を出しておきながら名古屋、愛知県、東海地方をキライって言ったら人としてどうなんだろう?笑
ただ、【キライ】というよりも【ニガテ】という意識は名古屋に引っ越してくる前から根強くありました。いや、正直、、、今でもあります(笑)。
何せ生粋の名古屋人ではなくヨソ者なもんでして、「この名もなき道産子が名古屋の地に入り込むためにはどうしたら良いか?」と試行錯誤の日々なんです。。。
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『ナゴヤ愛 地元民も知らないスゴイ魅力』出版社 : 秀和システム/陽菜ひよ子・宮田雄平
https://www.amazon.co.jp/dp/4798061735/
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……ってなことを考えながらnoteを書いていて、初めて名古屋に足を踏み入れた日や色々と苦労したことを思い出したので、ついでに…と思えないほどの長文で書いちゃいます(笑)。暇つぶしにどうぞ。
それは高校の修学旅行、ではありませんでした。北海道⇒京都・奈良・大阪⇒東京⇒北海道の旅程で、見事な名古屋飛ばし!(笑)
実際の初めての一歩は前職のプログラマ時代。最初に入った会社で5年目。社内では某MファンドによるM&Aの動きが静かに加速し、社員をコマにした陣取りゲームが進んで行き、お世話になった先輩方が窓際に追い込まれ、とってもキナ臭くなっていた内部に若かりし頃の宮田青年はウンザリ。
新社長となった人と面談したら、自分のやりたいことは確実に出来なくなると分かったので、タイミングを見計らって辞めて他の会社に移ろう、なんて考えていた頃。
時は2005年、愛・地球博の真っ只中!
その時に担当していたのが、次に入ることになる会社から頂いていた案件で、初めて扱うシステムで初名古屋で初出張という初物尽くし!笑
確か週末に掛かる日程だったので、いやぁ、どこのホテルも予約が取れない取れない……愛・地球博を甘く見てましたね。。。
Web予約画面は×ばかり、、、直接ホテルに電話しても返ってくるのは恐縮の声ばかり、、、なので致し方なく、初出張でカプセルホテルを渡り歩くという修行、、、も今となっては良い思い出(笑)
↑は2020年に撮ったもの。当時の名古屋駅周辺はこんな感じのビル群ではなかったですよね。その頃はまだカメラを手にしておらず、写真が無いのはザンネン。。。
初めて尽くしの出張でまったく余裕がなかったせいか、記憶もあんまり残っていないんですよね。何となく「名古屋駅って静かな駅だなぁ」って印象が残っていますが、そんなはずはないですよね。
まぁ、それを皮切りに出張でガンガン名古屋を訪れる訳です。
某Mファンドの肩たたき部隊の人から「夏のボーナス出さなきゃ良かったよ!」と捨て台詞を吐かれながら、「…言うほどか?」って金額のショボくれた賞与を手にした後に、最初の名古屋出張の案件を出してくれた会社に無事移籍し、数年経過。
「今日、午後から名古屋に行ってヘルプしてあげて」ってな感じで朝の打ち合わせ終わりで上司に言われ、また別の案件で客先で孤軍奮闘している先輩をヘルプするためにいざ出陣!
開発&テスト環境をぶっこんでおいたノートPCを手にし、一度、家に着替えを取りに戻り、新幹線に飛び乗って名古屋入り。
行ってみると、外注に出していたプログラムが客先でマトモに動かないというなかなかの事態で、そのまま客先のサーバルームでお客様に見張られながら軟禁(?)3徹ということもありました。
そのビル内の自販機に見たことのないお茶、『活命茶』があり、その名前にすがりつくようにガブ飲み。ドラクエの薬草でHPが回復したような感覚になり2徹目も3徹目も乗り越えられました。何せ、これでなくっ茶、活命茶ですから。
さすがは古き良き時代のガラケーの画質。ボヤンボヤンのザラッザラですな。でも撮ってました。残してました。こんな写真でもムダにならないので、みんなも何でも撮ろうぜ!笑
ってな感じで、活命茶のチカラと色んな人の手を借りながら、数年経過。。。長きに渡ったシステムの導入・開発フェーズがすべて完了し、保守フェーズに入るってんで、中盤以降ずっとタッグを組んでいた同僚とともにこの案件最後の名古屋出張。引継ぎのための軽い打ち合わせとご挨拶を済ませて、早々に名古屋駅に移動。
(ガラケー画質では全然美味しそうに見えませんが……)帰りの新幹線の時間をズラしてエスカの稲生さんに入り、ひつまぶしをかっ食らうプチ打ち上げ。
何年にもわたった案件だったので、途中でシステムのバージョンアップや法改正もあったり自分の知識・技術力の無さから不具合も死ぬほど出たし、間に入っていた会社から来ていた人間は誰一人として役に立たな……いや、とっても頑張ってくれたんですが(笑)、まぁとにかく色々あった思い出深い案件だったので、味は言うまでもなく涙でしょっぱかった(笑)
……ってな感じで、昔はプログラマとして、今はカメラマンとしてナゴヤに育てられています。
ナゴヤを苦手な理由ってのは、「いきなり3徹とかでゴリゴリ働かされたから」って訳じゃなく、外の人間を何となく寄せ付けない排他的な感じに対してどうして良いか分からなかったから。
「この人数がこれだけ頻繁に出張するんなら名古屋支社を作った方が良くね?」って話が挙がりながらも、東京の会社では上手く名古屋に入り込むことができずに名古屋支社発足プロジェクトは静かに頓挫して行く…ということもあったりして、今でも何となくなニガテ意識が。。。
そして、正直なところ、今でもこの街に入り込んで行けてるのか、受け容れられているのか、、、よく分かっていません。
どこの誰とは言いませんが、実際、ヨソ者の僕を相手にしていない人たちもいます。まぁ、、、そんな『イケズ』な名古屋も名古屋人も嫌いではありません(笑)
無理に入り込んで手と手を繋ごうとせずに、向こうは向こう、コッチはコッチのやり方で、程よい距離感で上手くやって行くのが良いのかなぁ、とも思っていたりもします。周囲は気にせずに、マイペースを崩さずに、のんびりと。
と、長々と書きましたが、そんな感じで色んな意味で好きな街のナゴヤ・ライフを満喫しています。
ちなみに、、、よく言われる「名古屋以外の人が名古屋で飯を食えるようになれば、他の地域でも苦労しない」ってのは、たぶんホント(笑)
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