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自分の文体をつくる。その1
本の雑誌3月号が、文体特集だった。
なかでも椎名誠、嵐山光三郎両氏が発明したとされる「昭和軽薄体」についてふり返る記事は、感慨深く読んだ。
私が「昭和軽薄体」に触れたのは、まさしく20代の頃に読んだ椎名さんの『わしらは怪しい探検隊』が最初だった。
どこか堅苦しいのが作家の文章だと思い込んでいた私は、あまりに自由奔放なその文体にノックアウトされたのを覚えている。
続いて読んだ『哀愁の町に霧が降るのだ』では、文章だけでなく、話の構成にも驚いてしまった。
なにしろ最初の3章のタイトルが、
第1章 話はなかなか始まらない
第2章 まだ話は始まらない
第3章 緊急対策中途解説の項
とかいって、全然本題に入っていかないのである。
そのうえ、第4章からようやく本題である青春時代の自伝的小説が始まり、そのまま進んでいくのかと思いきや、
第9章 なかがき
なんていう章が出てきて話を中断、執筆中の自分の話になったりする。
それだけではない。話が再開したかと思うと、今度はまた現在の中国旅行の話に脱線して、本筋はどこへいってしまったのか。もうハチャメチャだった。
今でこそ、そんな手法は珍しくないと思うが、当時はあまりの変幻自在さに、心が震えた。
こんなんあり?
そうしてこのとき、思い出したのは、子どもの頃に描いていた漫画だった。
小学生のときだ。描いていたのは野球漫画だった。
そのラストシーンがこうだった。9回裏、主人公がホームランを打って大逆転したかと思った瞬間、とくに脈絡もなく隕石が降ってきて、スタジアムが全滅するのである。あまりに身も蓋もないストーリー。描くのが面倒になったか、もしくはストーリーを思いつかなかったのかといえば、そうじゃない。そうするのが面白いと思ったからそう描いたのだ。
いきなり隕石。
脈略なんか全然ない。だが、子どもの頃に漫画を描いたことがある人なら、思い当たるふしがあるのではないか。そんな脈絡のなさこそ面白いと思った記憶がないだろうか。
それを大人がやっていた。しかもちゃんと本として売られている。
いいのか! やっていいのか!
目からウロコが落ちるとはこのことだった。
そして私は思ったのだ。
これなら自分も書けるのではないか。
昔から文章を書くのが好きで、アホなことばかり書いていた。そのうち大人っぽい立派な文章を書くようになるかと思いきや、全然そうはならず、自分が物書きになれる気がさっぱりしなかったわけだが、こういうジャンルがあるなら、自分にも可能性がないわけではないのではないか。
それはまさに天啓のように自分の胸を打った。
自惚れといわれても仕方ない。
だが若者は根拠なく自惚れるものなのだ。
それが私の文体模索の始まりだった。
思い返してみると、自分は物書きになって以来、今に至るまでずっと文体のことを考えていた気がする。
いまだに完成形にはたどりつかないし、たぶんゴールなどないと思うけれども、自分で整理するためにも、その模索の軌跡をこれから少しづつ書いてみようと思う。
その2に続く。
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