ヨウスケ

断酒家 21歳頃から朝からビールを飲む事を覚え、あっという間にアルコール依存症に。大学…

ヨウスケ

断酒家 21歳頃から朝からビールを飲む事を覚え、あっという間にアルコール依存症に。大学中退、転職、入院を繰り返し34歳で完全断酒。 その後は再び飲むこともなく20年断酒継続中。 猫、犬とさぬきうどんを愛する男。 飲んでいた頃や酒を止めてからの話を思いつくままに書いていきます。

最近の記事

流れ者のおじさん

断酒20年のヨウスケです。 二度目の入院、そして、アルコールの離脱症状からの幻覚。ドクターから次回入院する時があれば内科病棟ではなく、精神科の案件になるよと釘を刺されての退院となりました。 入院時の幻覚も日が経つにつれ、自分が見たり聴こえたりしたものが本当の出来事だったのか、あるいは幻覚だったのか良く分からなくなってきて、自分はまともなのかそうでないのか不安になってきました。 今まで半分冗談で自分はアル中だとか言っていたのが、本当にアル中になって幻覚を見て

    • とうとう出た…。

      断酒20年のヨウスケです。 アルコールが原因でまた振り出しに戻りました。次の仕事のアテもなく危機感は一応はあったのですが、先のことを考えても全く希望が見えず、とりあえずの現実逃避で、また飲んだくれの生活に戻ります。 季節は夏。ビールの美味い季節でした。結構飲めたということは前のバイトでの稼ぎが残っていたのだと思います。 どんな生活を送っていたのかほとんど思い出せないのですが、9月のある日、激しい嘔吐と身体の裏側の痛みを感じ、半ば強制的に病院に連れていかれました

      • 初めての入院 ~花見事件

        断酒20年のヨウスケです。  生まれて初めての入院。 病名は「急性肝炎」。それもアルコール性の肝炎ではなくウイルス性の肝炎。  A型肝炎から始まってB、C型肝炎とウイルス検査をしていきますが、どれでもありません。  D、E型肝炎ウイルス検査にもひっかかりません。  ドクターが首を傾げている間に肝機能数値はどんどん下がっていき、2週間で退院となりました。 「先生、やっぱりこれって酒の飲みすぎですよね?」 「もちろん飲みすぎもあるけど、酒だけでこんなに

        • 初めての入院

          断酒20年のヨウスケです。 塾を辞めて途方に暮れていた毎日。そんな時に渡米前にお世話になった会社からアルバイトの話が来て、二つ返事で行くことにしました。 会社が移転するにあたっての新社屋の内装工事などの手伝いです。部長がなんでも出来る人で、部屋の間仕切りから、水道の配管、電気工事など、全くの未知の世界の仕事を訳の分からないまま手伝っていました。 職人気質のところのある部長でしたので、口も決してよろしくはなく、罵声を浴びたり、理不尽と思えるような扱いも受けたこ

        流れ者のおじさん

          滑稽なシナリオの崩壊

          断酒20年のヨウスケです。 1ヶ月間のアメリカ旅行から無事日本に戻ってきました。 成田エクスプレスが東京駅に到着するやいなや、最寄りのKIOSKに一直線、買ったのはもちろん缶ビール(笑)。 「やっぱり日本はいいわ。日本のビールが最高。バドワイザーは薄味すぎる」 日本の良さを再確認。 とりあえず缶ビールを2本ほど買い足し、後は車内販売で買えばいいと、のぞみに乗り帰路につきます。 のぞみのチケットをみどりの窓口で購入するとき、話す日本語がなんか変

          滑稽なシナリオの崩壊

          ヨウスケ アメリカへ  (その2)

           断酒20年のヨウスケです。  一カ月の予定のアメリカ滞在も残り一週間ほどになりました。  楽しかったリノから帰って来て、最後の一週間はおばさんの知人でロサンゼルスに住む日系人の男性のところに泊まることになりました。全く知らない方です。  グレイハウンドバスのチケット、着いたらここに泊まれと書かれたメモを渡されて、単身まずはサンフランシスコに向かいます。  お約束なのかバスもかなり遅れて到着。ビビりながら空いてる席に座ります。次の停留所で汚くて太い白人のおっさんが乗っ

          ヨウスケ アメリカへ  (その2)

          ヨウスケ アメリカへ (その1)

          断酒20年のヨウスケです。 失意の中、ウルトラ二日酔いでやってきたアメリカはカリフォルニア。1週間もするとアルコールも抜け、食欲も旺盛になり健康的になってきました。 おばさんの家は老人しか住めない一戸建ての住宅街にあり、まさに閑静な住宅街という表現がピッタリでした。 外を散策(煙草を吸える場所を探して)いると、すぐさま 「どうされました?」 と声をかけてくるおじさんがいました。 「そこのMrs.Aさんのところの訪問者で、来たばかりなのでちょっと散策して

          ヨウスケ アメリカへ (その1)

          そして本格的なアルコール依存症に……(その3)

           断酒20年のヨウスケです。 アメリカへの出国まであと2週間。 旅費にまで手をつけてしまっている現実に改めて向き合わなくてはならなくなりました。 とはいえ両親や兄に泣きつくわけにもいかず。残った手段は塾の方に出資金という名目で出していた30万円を返してもらうしかありません。 塾の方がある程度軌道に乗ったら返してもらうという約束でしたが、この際そんなことを言ってる場合ではありません。 ただ、これをしてしまうと塾の方に帰っても、私の席はもう無いような気は薄

          そして本格的なアルコール依存症に……(その3)

          そして本格的なアルコール依存症に… (その2)

          断酒20年のヨウスケです。 学習塾も見事にアルコール問題で脱落し、彼女にも愛想をつかされて結局実家で酒浸りの毎日を送っていました。 お金が無くなると親父の焼酎を失敬してチビチビと。 疲れて仕事から帰ってきた父親が飲もうと思った焼酎が半分以上減っているのを見て何と思ったか考えると今でも心が痛みます。 アルバイトを探して旅費を稼いでアメリカに行くということで、塾の方は休職という話になってましたが、コンビニで無料の求人誌を貰ってきて目を通してみるも全く気乗りがしま

          そして本格的なアルコール依存症に… (その2)

          そして本格的なアルコール依存性に… (その1)

          断酒20年のヨウスケです。 大学中退したあたりで話が止まっていました。 これから先の事を思い出していていくのは非常に苦しい部分もあり、気持ちも重いのですが、結局同じように時系列で続きを書いていくことにします。 ホテルの方はとりあえず円満退社となり、知人に誘われた学習塾で講師としてやっていくことになりました。 担当教科の英語に関しては英語の成績だけはずっと良かったので、ブランクはあってもさほど準備には困りませんでした。 しかし、教員を目指していたわけで

          そして本格的なアルコール依存性に… (その1)

          煙草も止めました(その2)

          断酒20年のヨウスケです。 さて、煙草友達から教えてもらった禁煙外来。早速近所の禁煙外来をしている呼吸器科に行きました。 既往症、喫煙歴など記入してニコチン依存性チェック。これは問題なくクリア(笑)。 次に呼気中の一酸化炭素濃度チェックなどを行って、スパイロメーターという器具を使って呼吸機能検査を進めて行くうちに何やら雲行きが怪しくなってくる。 診断結果として 細かい数値などは忘れましたが 肺年齢86歳 中~高度のCOPD(慢性閉塞性肺疾患) の疑

          煙草も止めました(その2)

          煙草も止めました (その1)

          断酒20年のヨウスケです。 今回は煙草について書きます。 大学入学を境に毎日煙草を吸い始め、 (はい、未成年から吸ってました。ごめんなさい。) 46歳で3回目の禁煙チャレンジに成功し、現在禁煙9年目です。 20代はマイルドセブン系を1日50本くらい、30代からはセブンスターを1日40本ほど。時々気分でキャメルマイルドの時も。 煙草は欲しいからというよりはほとんど癖で吸ってた感じです。 朝起きて一服、コーヒー飲みながら一服、食後に一服、仕事にかか

          煙草も止めました (その1)

          アルコール依存症への道 (その3)

          断酒20年のヨウスケです。 前回の続きです。 大学の方も正式に中退してこれからどうしていくのか真剣に考えていかなければならないはずなのに、とりあえずホテルのアルバイトに出かけ、酒を飲んで、空いてる時間はパチンコや麻雀にのめりこむことの多い毎日。 こんな私でも当時彼女はいたのですが、デートはというといつも居酒屋、公園のベンチなど座っていても缶ビールは手放さない。酔っ払っては自分のことは棚にあげてバイトの愚痴ばかり。そんな有様でした。 自分の問題はアルコー

          アルコール依存症への道 (その3)

          アルコール依存症への道(その2)

          断酒20年のヨウスケです。 今年は元旦から北陸地方で大変な地震がありました。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。そして亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。 さて前回の続きになります。 とうとう大酒を飲んだ次の日、アルコールが切れてくると手の震えが出てくるようになってきました。 周りの人間も多かれ少なかれ同じように手の震えがあったため、 「とうとう俺らもアル中やな」 と冗談で言い合う程度でしたが、私の場合はちょっと洒落にならな

          アルコール依存症への道(その2)

          アルコール依存症への道   (その1)

           断酒20年になるヨウスケです。  アルコールへの執われから解放され、心穏やかに生きていくことができるようになりましたが、あの頃を忘れないという意味でも飲んでいた頃の話をしていきたいと思います。  21歳で向かい酒の味を覚えたとプロフィールにも書いてますが、もちろん飲んだら止まらないみたいな状態にすぐになったわけではありません。  大学の時、サークルの打ち上げコンパで泊まりがけで飲んだことがありました。ところが割と早く寝てしまい、せっかくの飲み会だったのに飲み足らないな

          アルコール依存症への道   (その1)

          断酒20年目に思うこと

          ヨウスケといいます。 34歳でアルコールを完全に断ち20年になる54歳です。 思えば21歳から迎え酒の味を覚えていたので、飲み始めから既にアルコール依存症になっていたのかもしれません。 アルコールが原因で大学も中退し、仕事もどこに行っても長続きせず。30歳になったらどうにかなるだろうという妄想に近い願望を持ちつつ、それでも酒を飲み続け、2回の内科入院ののち、3回目の入院はとうとうアルコール専門病棟に。 その頃はまともに働くこともできず日雇い派遣の肉体労働で日銭

          断酒20年目に思うこと